2011年10月24日月曜日

看護と倫理1 第6回

10月23日、時代祭に出くわす。10年以上京都に住んでて初めて見た。
一年生向け看護と倫理は、今日が第6回目。全7回で、7回目はこれまでの授業の振り返りと中間テストなので、実質授業らしい授業は今回が最後。

テーマ学習は、昨年もとりあげた、核廃棄物などの処理と世代間倫理について。正直このテーマを取り上げることにはためらいがあった。もちろん福島での原発事故があったからだ。あのような決定的な事故が起こってしまった今、原子力発電という技術自体の是非を聞くのはもはやナンセンスだ。そうなると、設問全体を作り変えないといけないかもしれない。そんなことを考えていたのだが、時間がなくなってしまったので、原発事故が起ころうと起こるまいと、原子力発電をするうえでの大前提として、核廃棄物をどう処理し管理するかを考える、という設問にした。

後半の世代間倫理と世代内倫理の問題は、この半年何度も考えさせられた。子孫に良い環境を残すことは大切だが、現在における社会的な不平等や不便をそのまま放置することもできない。この問題は当然今後の原発問題についてもあてはまる。原発をやめよう!と決定したあとが大変なのだ。これまで原発で仕事をしてきた人、原発からのお金に頼ってきた自治体などはどうしたらいいのか。そもそも原発が作ってきた電気は、遠く東京や大都市で使うためのものだった。それで都会を離れた安全な場所を求めて、東北の僻地に建設したわけだ。そして今度はまた、原発は危険だからやめよう、という都会からの意見で、原発が廃止されることになるのだろうか。結局のところ原発が置かれている場所の人々は、お金を出し、作られた電気を使う、都会の人々の意見に従うことしかできないのではないか。

そのように考えると、原発に限らず、世代間倫理や環境問題といわれる諸問題には、都市と地方、帝国と植民地という地域的な格差の問題が強く影響しているということが分かる。

そこで私が、自分にとって身近な、ある種原発的な問題として思いついたのが、巨大ショッピングモールのことだった。実家のとなり町、佐野市にはイオンモールとプレミアムアウトレットモールが隣り合っていて、さらに巨大なコジマ電気も並立して、ある意味世界の中心のような状態である。日曜日にはお店にやってくるたくさんの車が列をなすし、新聞にはそれらショッピングモールの求人がたくさん入ってくる。一見巨大モールのおかげで、となり町や周辺市町村は活気が出て、潤っているかのように見えるが、本当にそうなのか。巨大モールが栄える一方、地元の商店街は瀕死状態だし、周辺市町村に以前からあった、スーパーも閑散としてきている。このままショッピングモールがあり続けたらどうなるのだろうか。あるいはさらに恐ろしいのは、ショッピングモールが、撤退してしまった場合だ。そうなったら、既にすっかり衰退してしまった町はどのように再生することができるのだろうか。

このような問題について学生にも意見を求め、自分自身にとって身近な別の例を考えてもらった。なかなか具体例は出なかったものの、やはり私自身が思ったように、地方から都市に出てきた学生の方が、都会と地方の格差という視点から考えることができていたと思った。

倫理1−6

0 件のコメント:

コメントを投稿