2011年10月5日水曜日

ベルンで考えたこと

写真を貼ったりしないと、ブログのデザイン的になんだか寂しい雰囲気になってしまうと思ったので、これまで旅行に出かけた場所のこと、特に気に入った街のことなどを書こうと思う。


写真はスイス・ベルンの旧市街にある時計塔。ベルン市旧市街は世界遺産に登録されている。昨年末にフランスを訪れた際に、これまでドイツ語圏だけどスイスには行ったことがなかったので、行くことにした。なぜベルンに行こうと思ったのかは、よく覚えていない。おそらくウィキペディア等で写真を目にして、心惹かれたのだろう。あとはパウル・クレー、アドルフ・ヴェルフリ、ヴァルター・ベンヤミンなど関心のある人物にゆかりのある町だからだろうか。


2010年〜11年の年末年始は、欧州がとんでもない寒さで、パリも13年前に訪れた時とはまったく異なる寒さだった。ドイツでは、列車がストップするほどの積雪だったらしい。"Winter, Weihnachten, Wahnsinn!!!" という見出しをスポーツ新聞で見た。スイスに入国した2011年1月1日は、もうだいぶ寒波は和らいでいて、いちおう日本でも東北地方で経験したことがあるくらいの寒さだった。


それまでフランス語ばかりのパリにいたので、ドイツ語が町の至る所に書いてあるベルンの町は、とにかくさまざまな情報が視覚的に理解できるのでありがたかった。ドイツ語会話はぜんぜん得意ではないが、とりあえず旅行くらいで困ることはなかろうという自負はあった。しかし驚いたことにスイスでは私のドイツ語はちっとも通じなかった。ベルンでの一日目は少しショックだったのだが、ホテルで女将さんが、他のお客さんと電話で話しているのを聞いて、ハッとした。彼女が話している言葉が、さっぱり理解できなかったのだ。言葉の端々に出てくる前置詞や分離動詞の前綴りなどで、おそらくドイツ語だとはわかるのだが、少なくとも私が知っているドイツ語ではない。これがスイスドイツ語なのか。東京外大が開発した会話教材を見て、いちおうどんなものかは知っていたが、実際に耳にするのは初めてだった。電話が終わると、女将さんは私の方ににっこり笑って、即座に「わかりやすいドイツ語」で話しかけた。当然のことながら、彼女たちスイスの人は、標準ドイツ語と自分たちのスイスドイツ語とを、きっちり使い分けているのだ。


ベルンにいて、最初に奇異な感じがしたのは、美術館や博物館、ホテルやデパートなどに行っても、こちらが口を開かない限り、係や店員が あいさつをすることはないのだ。彼らは来客の挨拶によって、言語のスイッチを切り替えているのだ。女将さんの電話を見て、最初に抱いた奇異な感じが何だか理解できた。そして、彼らに私のドイツ語があまり通じない理由も推測できた。おそらく彼らの多くは、英語・仏語・独語・伊語そしてスイス語などで会話することができるのだろう。だが、そうやって多言語を使い分けるがゆえに、それぞれの言語を聞き取る際の、幅というかストライクゾーンというか、つまりドイツ語として受容できる範囲が、ドイツのドイツ語話者よりも狭いのではないだろうか。ドイツ人は外国人労働者や旅行者の下手なドイツ語を聞き慣れている。しかしスイスの人々はそこまで各言語に通じているわけではないのかもしれない。未だに推測の範囲をでないが、そんなことをベルンで考えた。

スイスにおける方言については、今後ももっと詳しく勉強したいと思っている。

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