2014年2月27日木曜日

バカ学生批判に思うこと

周りの先生がたの書き込みなどで、バカないまどきの学生を批判する言説をよく目にする。親離れできず、教員にも頼りっきりで、友達がいないとなにもできなくて、本も読まない、どうしようもないバカ学生、というのが彼らの批判の代表的な事例だ。言っていることはもっともだと思う。私の担当するクラスでも、どうしようもない子がたくさんいる。でも、こういったバカ学生批判を目にするたび、おれはそんなふうに強く言えないなあと違和感を覚えてしまう。それはかつて自分がおなじようにどうしようもないバカ学生だったからだ。

今の学生は就活まで親に頼るというが、私は博士課程を単位取得退学して助手になる32歳のころまで実家から仕送りをもらっていた。大学4年までで親離れできるなら上出来だ。
今の学生は無責任だというが、私は大学1年のころ無断でバイトをやめている(いわゆるバックれ)。
今の学生は友だちがいないと何もできないというが、私たちが学生の頃にも授業が終わるとポケベルにメッセージを送ろうと公衆電話に走る学生たちがいたはずだ。ポケベルやPHSの時代と違って、SNSを使う今の学生の方が交友関係は幅広い(場合もある)。
今の学生は本も読まないし勉強しないというが、私が学部一年のころは、受験勉強後の燃え尽きで、授業にもでず、本も読まなかった。もともと難しい本を読む習慣がなかったため、大学一年の後期から、一日50ページずつ本を読む練習を始め、おかげで半年くらいで岩波文庫などで名作を読破できるようになった。

学生がバカだというのは簡単だし、事実ダメな子も多い。でもそれを批判したところでどうなるというのだろう。大学を増やしたからダメになった。もともと大学に行けないような層が入ってきたから教育の質が低下したという人も多いけど、田舎の高校から二流私大になんとか入れた私にはとてもそんなことは言えない。大学というのは、日本の場合は出身地や出身階級を抜け出すための手段でもあったはずだ。スポーツしかしてしてこなかった子も不登校だった子も、自分の育った世界から別の広い世界を見るために大学にくるのだ。それを否定することはできない。

学生が勉強しない、無責任で、世間知らずで、役に立たないというのは事実である。だけど4年後、10年後にどうなっているかわからない。どうにかなる可能性はだれもがもっているはずだし、じっさいに大学で教えていれば、学生の短期間での成長ぶりに驚かされることも多いはずである。むしろこういう驚きを経験せずに、バカな学生はいつまでもバカだと思えてしまうのは、教育者として不幸なことではないか。
学部時代の成績証明書。あまり勉強していなかったころの「可」が並んでいる。

2014年2月20日木曜日

ウムラウトと間違いを恐れる学生

ようやく今年度の全クラスの採点がおわった。前期と同じように、やはりこちらが上手に教えられなかったところは、学生たちもできていない。そこは次年度の課題にしないといけない。それとは別に、今回はウムラウトを付けない綴りの間違いが非常に多かった。möchteをmochteにしてしまったり、altの比較級がälterじゃなくてalterとなっていたり、fahrenの三人称単数でfährtではなくfahrtにしてしまったりといった具合だ。もちろんしっかり勉強してきた学生たちはちゃんと出来ている。全体として勉強が足りなくて合格点ギリギリの学生たちに、とくにこういうウムラウトのミスが見られた。語順や人称変化はちゃんとできてるのに、なんでこんなところで間違えるのだろう。ウムラウトなんて、ä,ö,üの三種類しかないのだから、英語にはないものとはいえ、そう難しくはないだろうと思っていた。それよりむしろ、英語にはないドイツ語特有の文字なのだし、もう母音全部にウムラウトつけるくらい、積極的にウムラウトを含んだ単語を覚えてほしいとさえ思っていた。だから最初は彼らの綴り間違いがどうして起こるのかまったく見当がつかなかった。私の板書がきたなくて見えなかったのだろうか?次年度はもっとぐりぐりとウムラウトを書いた方がいいのかもしれない、などと考えていた。

こういう話をフランス語を教える妻に話してみた。やはり彼女のクラスでも、アクサンのつけ忘れ、つけ間違いが非常に多かったそうだ。だろうなあ、フランス語で初級者にとって一番とっつきにくいのは、綴りだし、アクサンはウムラウトより種類多い(ほかにも^とか‥とかヒゲとかあるし)のでそりゃ難しかろう。私は初級フランス語を履修していただけで、あとはちょっと独習した程度なので、フランス語にくっついているいろんな記号やてんてんのたぐいはよくわからない。だから外出した際に、妻が料理のメニューや店の看板に見られるフランス語のスペルミスを指摘するたびに、細かいことをうるさく言うなあ、と若干疎ましく思っていたし、うるさい人に文句言われるからフランス語ってめんどくせえ、自分で店を出すなら、「ぜったいにアクサンがない単語を探そう」と思っていた。

そこではたと気づいた。そういうことか。学生たちがウムラウトを付けないのは、私がフランス語のアクサンがついた単語を見た際に思う「めんどくせえ」と同じ気持だったのだ。つくのかつかないのかわからない。あるいはつけてもつけなくてもどっちでもいいんじゃないの?という思いがあるのだろう。そしてテストの場では、できればミスはしたくないから、余計なものをつけるよりはつけないほうがいいだろう、とウムラウトを省くことを決断してしまうのだろう。

ドイツ語でウムラウトを含む単語など当たり前にあるし、ウムラウト込みで綴りを覚えなければ意味が無い。だからこれまでこういうミスについてはどうしてそれが起こるのか考えたことがなかった。しかしフランス語や他の言語と比較することで、学習者のミスを避けようとする心情が逆にこういうミスにつながっているのではないかということがわかってきた。

テストである以上、綴りの間違いは減点の対象だ。だから学生たちには、手を動かして勉強するよういつも呼びかけている。でも、せっかくドイツ語を勉強しているのだから、ドイツ語独自の表現なのだし、積極的にウムラウトをつけて欲しい。あらゆる母音にウムラウトをつけるやる、くらいの気持ちでもいいんじゃないかと思う。