2012年4月12日木曜日

学生たちはいつまでも若い

いつの間にか新学期がスタートしていて、昨日は滋賀県立大学で第一回目の授業があった。
おととし、自転車で琵琶湖一周をした時に湖岸道路から校舎を眺めたことがあったが、電車で行くのは今回が初めて。彦根市内なので、新快速であっという間だな、と思いきや、南彦根は鈍行しか停まらない。 

京都駅から鈍行列車に乗り込むと、何故かやたら混んでいる。

大阪方面行きなら、混むのも仕方ないが、なんでこんなに学生ふうの若者ばかり乗っているのだろうと、つり革につかまりながら考えていた。山科の薬科大と橘、石山の滋賀大、瀬田の滋賀医大と龍大と、各駅ごとの大学を思い出しながら席があくのを待っていたら、やはり瀬田でたくさん降り、さらに南草津でほとんどの若者が降りていった。南草津ってなんだ?と思い検索したら立命館があるのだとわかった。 

草津から先はもうガラガラ。ほとんど人の動きのない車内で、小一時間を過ごした。あいにく雨だったが、景色を眺めるとなんだか栃木の風景のようで、懐かしかった。 

南彦根からは市バスで移動。15分くらいで県立大についた。家からはだいたい2時間弱。近大よりは遠いが堺看護と同じくらいか。 

初回ということで、ドイツ語の専任教員に案内してもらったり、学生の様子を聞いたりした。大学がまだ新しいので校舎はきれいだが、学生数は少ないのでこじんまりしていた。 

私が担当するドイツ語は3時間目、4時間目とも、1年生向けの授業。初回なので、自己紹介、学生へのアンケート、ドイツ語についての説明などをやった。学生へのアンケートは、ドイツ語や他の外国語の既習歴を聞くことが目的だが、出身地や大学でやってみたいことなどの項目を入れることで、学生それぞれの個性が見えて面白い。今回は出身校も書いてもらったが、北野、洛北、膳所など名門校出身の子が多いことに驚いた。県立大の偏差値がどのくらいかは知らないが、学生の知的レベルは高いのかもしれない。実際に話しをしていても、みんなよく聞いてくれるし話すことへの反応もとてもいい。とくに3時間目のクラスは女子ばかり(8割くらい?)で、ドイツ語のクラスじゃないみたいだった。 

近大のときには用意できなかったが、今回はドイツ語とドイツ語圏文化を紹介する 
スライドを見せたので、学生たちもドイツ語に対するイメージがふくらんだかもしれない。 
そのなかで、自分の子供時代の大きな出来事として、ベルリンの壁について話した。 

逆に学生たちにとってはどんなことが子供時代の出来事として記憶されてるのか聞いてみたところ何人かの学生は2001年の同時多発テロを挙げてくれた。また、記憶の中で最初のオリンピックは、2004年のアテネ大会だと言っていた子もいた。今年の新入生は現役なら93年か94年生まれ。彼らにとっては、2001年が最も古い記憶なのだ。思わず遠い目をしてしまった。93年、94年といえば、私はちょうど高校生で、毎日陸の牢獄栃木で、男漬けの高校生活を送っていた時期だ。あの頃からもう18年も経ってしまったのだ。 

私は毎年年をとるが、学生たちはいつまでも若い。毎年18歳のままだ。 
彼らにとっての自我の原点は、だんだん私の現代に近づいてくる。 
数年前、大学で教え始めた時期には、古い記憶といえば神戸の震災だったのに。 

教員という仕事をしていると誰もが感じることだろうが、とくに私のような語学教師は 
1年生ばかり相手にしているので、なおのこと学生との歳の差を思い知る。 


それはともかく、子供時代の社会的な出来事の記憶については、もっといろんな人に聞いてみたいと思っている。学生たちにとって、バブル景気やベルリンの壁が、遠い過去の話で教科書の中のエピソードでしかないように、私自身にとってもオイルショックや学園紛争はあまりに遠い過去の出来事のように思える。あたり前のことだが、あらゆる出来事について、それを経験した年齢の違いや地域の違いが、受け止め方やその後の考え方に大きな違いをもたらすからだ。それは私たち夫婦においても、年齢はひとつしか違わないのに、育った場所がだいぶ離れているせいで、子供の頃の記憶に隔たりがあったりする。 

大学1年生の調べ学習みたいだが、人が世の中の出来事をどう記憶しているのか、というのは最近の私にとっておもしろいテーマとなっている。