2013年5月22日水曜日

近江鉄道に乗ってみた


水曜日は滋賀県立大学で授業。

すっかり日が長くなったおかげで、4時限目を終えて京都に戻ってきてもまだ明るい。帰りの電車で車窓から見える田園風景がとても素晴らしくて、毎週寄り道もしないで真っ直ぐ帰るのがなんだかもったいないように思っていた。

今日は急いでやらなければならないこともない(週末の学会はあるけど)し、先週の体調不良も治ったし、ちょっと寄り道して、彦根駅から出ている私鉄近江鉄道に乗ってみることにした。

近江鉄道の路線は、米原から貴生川の本線、高宮から多賀大社前の多賀線、近江八幡から八日市への八日市線、と三種類ある。

簡単に位置関係を説明すれば、琵琶湖沿岸から東にいくとJR、さらに東に近江鉄道線が通っている。琵琶湖も安土城もない、滋賀の中でもより地味な滋賀を通っている路線と云ってよかろう。今回は県立大からバスで彦根駅に移動し、彦根駅から本線で八日市駅、八日市駅で乗り換えて近江八幡駅まで行って、そこから東海道線で京都に戻るというルート。普段通りの通勤路で帰るより、約1時間の遠回りになる。

彦根駅前。ひこにゃんと井伊直政像(右のほう)
彦根に通い始めて2年目だが、彦根市中心部を通ることはこれまで一度、大雨の日しかなかった。今日いい天気のもとで、市内を眺めたが、城下町の古い建物だけじゃなく、昭和っぽい商店街や百貨店が残っていて、しかもまだそこそこ活気があることに驚いた。栃木市も宇都宮市もとうに中心部はガラガラになってしまっているのに。観光資源があるだけでなく、京都からもけっこう近いから、それほど寂れていないのだろうか。

彦根駅でJRの改札より東に行くと、近江鉄道の駅がある。自動改札ではなく、駅員さんがきっぷにスタンプを押してくれた。こういうの何年ぶりだろうか。高校時代に乗った両毛線を思い出した。
近江鉄道彦根駅の改札。自動ではない!
近江鉄道
駅を出発した列車は、田んぼの中を走っていく。太陽が眩しくて、田んぼがキラキラ光っていた。ちょうどiPhoneから、この前買ったドイツのバンドTonbandgerätの”Raus hier"が流れていた。サビの雰囲気と目の前の田んぼがシンクロして、『世界の車窓から』みたいだった。他の乗客たちはもちろん日本人だけど、目の前に広がってる山や田んぼはなんだか他所の国みたいに見えた。まあ、もちろん本当は滋賀の車窓なんだけど。

アニメの聖地豊郷。当然看板はアニメ絵。
途中で停車する、豊郷や愛知川、五個荘といった駅は、どこもこじんまりとしていて、古くてきれいだった。小さな木造の駅舎の前には、小さな古い建物ばかりの駅前が広がっている。ふだん見慣れたJR琵琶湖線の広くて画一的に開発された駅前とは全く文化が違う、という印象だ。近江鉄道が走る、「より地味な滋賀」には、JR沿線が失ってしまった、かつての滋賀がそのまま残っているのかもしれない。

八日市駅案内板を吊るす代わりにネットが張ってある。
乗換駅の八日市は、このへんの中心都市だ。しかし小さい町だ。ホームの上から、駅員さんが立っている改札越しに、やや広い待合室とまっすぐ伸びる駅前通りが見えた。町の古さ加減や小ささ、そして乗換駅なのにあまり人がいないところなんかが、故郷の栃木市のようだった。かつての栃木駅もこんなふうに人が立ってる改札があって、古い駅舎があって、駅前があった。故郷を離れて10年の間に、いっきに駅前は拡張され、かわりに人がいなくなった。

八日市駅
八日市から近江八幡へ向かう列車は、ほぼ満席くらいの乗車率だった。田んぼしかなさそうな小さな駅から、高校生やサラリーマンが乗ってくる。こんな田舎にも、当然のことながら、それぞれの暮らしがある。なんだか、不思議な感じがした。もう日が暮れかけていたが、どの駅も魅力的で、できれば降りて周囲を散策したいくらいだった。

もう少し風景を楽しみたいなあ、と思っているうちに近江八幡に着いた。この街はもう都会だ。駅前には映画館を備えた大きなショッピングモールやタワーマンションが立っている。JRに乗り換えて、新快速に乗り込むとまたいつもの通勤時間に戻っていく。そしてあっという間に京都に着いてしまう。いつもの通勤経路からちょっと外れるだけでこれだけ素敵な田舎があることがうれしかった。近いうちにまた行ってみよう。
魅力的な太郎坊宮前駅

2013年5月11日土曜日

どの校舎?どの教室?


大学という場所には、たくさんの建物がある。

学生たちや教員たちは、毎日講義を受けたり、ゼミに参加したりする。だからどの大学でも時間割には、何時間目はどの授業で、何校舎(何号館)の何教室と、決められている。

私たちは、それぞれの教室に出かけていくのだが、ここで問題になるのが、建物の呼称である。キャンパスマップから目的の建物を探すわけだが、これがけっこう難しい。呼称のルールは各大学ごとにさまざま。1号館、2号館と番号が振られているところもあれば、○○館と熟語っぽい名前や人名をつける大学もある。今回は、私がかつて通った大学や、現在出講している大学を例に、どういう名称がついているのか紹介したい。はじめに結論を書いてしまうけど、結局のところ、どの大学もみんなわかりにくいし、最初の一ヶ月くらいはぜったいに迷う。しかしながら、そのわかりにくさ、迷わせかたは、大学ごとに様々で、じつに興味深い。

明治大学
明治大学リバティタワーエントランスにある怖い絵
1,2年生が通う杉並区の和泉校舎は、第一校舎を筆頭に第四校舎まで番号がついていて、さらにメディア棟(これができたのは最近)、リエゾン棟(在学中はAV教室棟といってた)などがある。私たち文学部生の授業はたいてい少教室が多い第三校舎か、文学科の共通授業などなら第一校舎でやっていた。また、3,4年生が学ぶ駿河台校舎の場合は、現在はリバティタワーという23階建てのビルになってて、ほとんどの授業はここでやっているので、移動はビルのフロア間だけである。私が3年の前期には、まだビルができあがっていなかったので、6号館、11号館、12号館、10号館などの建物で授業を受けていた。6号館は特に古くて、しかも急な坂道に立っているので、構造が複雑だったのをよく覚えている。この建物は夏休み中に取り壊され、リバティタワーの一階部分になった。おそらくここ以外は現存しているみたいだが、10号館も他の校舎と坂で隔てられていて、移動がけっこうたいへんだった。全体的に見ると、学生数の多さのわりに、校舎の分け方は単純で、わかりやすい方ではないかと思う。

京都大学 時計台がある本部構内の場合、文学部校舎、教育学部校舎、法経済学部本館、法経済学部東館、工学部1号館...と学部ごとに分けられているのでわかりやすい。ただ、この校舎の大部分を占める工学部の建物群は数が多くて把握しづらいし、現在は桂キャンパスに移転してしまってる学科もあるため、工学部がいなくなった建物は、総合研究○号館のような中身のわかりにくい名称に変更されている。
 一方、大学院人間・環境学研究科や総合人間学部がある、吉田南構内のほうは、さらにわかりにくい。総合人間学部棟、吉田南1号館、吉田南総合館(さらに北棟・東棟・南棟・西棟に分かれている)、といった具合に名前が振られている。1号館があって、となりが総合館というのがまずわかりにくいが、問題は総合館というのがかつて(2004年以前)は、A号館と呼ばれており、2号館はD号館、3号館はF号館、4号館はE号館と呼ばれていて、かつての呼称と順番がバラバラになってしまっている点である。多くの教員、ODなどはかつての呼称しか把握していない。また、総合館および旧A号館は、増築を繰り返して大きくなった建物なので(古くはA、B、C号館といったらしい)、建物名だけでなく、北棟、西棟など、どの棟なのかもわかっていないと教室にたどり着けない。さらに、シラバスや共通教育の便覧などを見ると教室番号が書いてあるが、その番号の振り方もひどい。吉田南1号館は、共101、1共23など、吉田南総合館北棟は、共北36、私が日ごろ授業を行なっているのは西棟の共西22といった具合である。慣れないと共=1号館、共+方向=総合館というルールがわからず、教室が見つからない。なんかもう説明するのもしんどくなってきたので、次の大学へ。

 滋賀県立大学 非常勤先で最も気に入っている大学だ。公立だけに、こじんまりしていて、田舎なので建物以外の敷地が広い。小さい大学だが、凝った作りになっていて、そのせいでちょっとわかりにくい。学部ごとにゾーンがあって、共通教育や事務はA棟、A0〜A5まで、環境科学部はB、B1〜B8棟といった具合に分かれている。マップを見ると小さい建物がいくつも続いていて複雑だ。私は2年間通っているが、同じA3棟の教室なので、各学部の校舎についてはよくわからない。

 近畿大学 最寄り駅から、ごはん屋さんばかりの学生街を抜けると、10階建て以上のビルが林立する長瀬キャンパスが広がっている。入り口にある門のような18号館、向かいにある本館、それぞれの建物にはわかりやすく番号がついていて、入り口に大きな看板を掲げてあるけど、分かりにくく感じるのは、何より番号が多すぎるからだ。長瀬キャンパスだけで、39号館(薬学部)まである。マップで確認すると、1号館とか2号館とか、若い番号の建物がない。おそらく古い建物のあとに、新しい建物ができたら、元の番号は消滅してしまうというルールがあるのだろうか。私が教えているのは、道路を挟んで東側にあるEキャンパス(eastのことだろう)だが、こっちはまたルールが違って、文芸学部のA館、経済のB館、総合社会学部のG館というように、アルファベットがついている。本部キャンパス、Eキャンパス双方にいえることだが、ひとつひとつの建物がかなり大きいので、全体的な配置がつかみにくいのも、この大学のわかりにくさの一因といえる。

 龍谷大学 1号館、2号館と番号が振られているが、ときどき紫英館、顕真館(法要とかやってる、お寺っぽい建物)など漢字熟語系の名称も交じる。大学の規模にくらべて、建物の数が少ないので、わりとわかりやすいのだが、1〜8号館まであるのに、なぜか21号館、22号館と番号が飛んでいるのかよくわからない。また、ふだん行く場所ではないので気にしてなかったが、キャンパスマップを見ると、紫英館、紫朋館、紫光館、紫陽館など、スクールカラーの紫にちなんだ熟語名もいくつかある。すべての校舎がこのルールで紫○○館と名付けられていなくて本当によかったと思う。

 京都精華大学 山を切り開いた谷沿いに立っているので、ただでさえ建物の位置関係を理解するのが難しい。そのうえ、清風館、黎明館、春秋館など、漢字熟語系の名前がつけられているので、入学後1ヶ月は迷い続けること必死である。学食にもわざわざ悠々館などと名前をつけているのがまた困る。さらに、シラバスや時間割には、清風館101教室ならC101、黎明館001ならL001、春秋館ならS…といった具合にアルファベットで表記されるので、熟語名とアルファベットの対応も覚えなければならない。教員として務めている方としても、新入生に案内をするときは、分かりにくくて申し訳ない、という気持ちにならずにはいられなかった(もちろん私が悪いわけじゃないが)。
 私の勤務校ではないけど、立命館大学、京都造形芸術大学なども同様に、○○館という漢字熟語の名前になっているそうだ。

以上のように私が学んだ大学および勤務してきた各大学の、建物の呼び方についてまとめてみたが、本当にどの大学も分かりにくくて書いて説明するのが難しかった。分かりにくくなる一つの要因として考えられるのが、多くの大学は学部を改組したり増やしたりするたび、校舎を増改築するので、それで呼称のルールが変更されたり、連番だったのが、番号が飛んだりするのだろう。もう5月になるが、どの大学でも新入生たちはまだ迷い続けているだろうし、教員たちも自分の教室がどの建物の何番教室なのか正確に把握していないことだろう。彼らが早く落ち着いた日々を過ごせるようになることを願いたい。

2013年5月7日火曜日

ドイツ人の名前


先日出た教科書(川村和宏・竹内拓史・押領司史生・松崎裕人・熊谷哲哉、『携帯&スマホでドイツ語』郁文堂―まだ試行版―)に書いたコラムでもとりあげたけど、ドイツ人の名前は、意外と学生たちに知られていないので、毎年春には名前クイズというのをやっている。

日頃ドイツ文学や映画に親しんでいる我々にとっては、Sabineが女性の名前だというのはすぐわかるけど、高校を出たての大学一年生にとっては男性か女性かわからないというのだ。考えてみればそうだ。彼らの周りには、ドイツ人なんてそうめったにいないし、知ってるドイツ人はせいぜいペーターやハイジやおじいさんくらいだろう。

高校生までに彼らが知るドイツ人の名前、たとえば世界史の教科書にでてくる、ルートヴィヒとかフリードリヒとかヴィルヘルムなんていう名前は、じっさいのところもう100年以上も前の古い名前だ。わりと近現代の偉人の名前、たとえばフランツ(カフカ)、ヘルマン(ヘッセ)、ヴァルター(ベンヤミン)、マルティン(ハイデガー)なんていうのも、やはりもう名付けられることは殆どない名前だ。

ドイツ人の名前にも、日本人の名前と同様、流行り廃りがある。教科書的な、あるいは文学史に載ってるような名前は、ずいぶん昔のはやりである。beliebte-vornamen.deというサイトを見ると、毎年ごとの人気ランキングが掲載されている。2012年に人気の名前は、男子はBenn, Luca, Paul, Lukas, Finn, Jonas, Leon, Luis, Maximilianなどが上位。女子はMia,Emma, Hannah, Lea, Sophia, Anna, Lena, Leonie, Linaなどが上位に入っている。これらの名前からわかるように、今の人気は、呼びやすくてドイツ語っぽくない(国際的に通用しそうな)名前だ。

beliebte-Vornamen.deで驚かされるのは、名前の人気を時代ごとにグラフ化していることだ。たとえば、男子一番人気のBenだったら、1987年に初めて上位200位に入って以来、2000年代まで上昇を続けて、2010年代以降はトップの座にあることが分かる。このグラフで興味深いのは、ドイツ語の名前にはかつて流行った名前がふたたび名付けられるということだ。たとえば2012年上位のMarieという名前は、19世紀末にはトップ10にあったが、その後1950年代から70年代あたりに人気が低迷したものの、90年代なかば以降
授業で使った名前クイズ
はふたたび上位に復帰している。こういう現象は他にもたくさん見られる。

さらに、よくわからないのが、名前の地域ごとの流行だ。たとえばMarioという名前は、70年代ごろまで人気だったというが、地図を見ると極端にDDR(旧東ドイツ)で多く名付けられていることが分かる。たしかにトーマス・ブルッスィヒのDDR小説『太陽通り』にもマーリオという友人が出てきていた。あの当時の東ドイツに、何か子供をマーリオと名付ける理由があったのだろうか?

2013年5月6日月曜日

同じ授業を2コマ

同業者のみなさんにご意見をいただきたいのですが、同じ内容の授業を2コマする場合、同じ話なのに二回目の方が時間がかかってしまうことはありませんか?

昨年、今年と同じ内容の授業を2時間続けてしているのですが、どうしても二時間目のほうが、進度が遅くなってしまいます。これはどういうことなのでしょう?

昨年は、クラスの雰囲気や学生の質が原因だと思っていました。京大の場合、2時限の理学部より4時限の薬学部の方が進み方が遅いのは、薬学の子たちが、実験のあとに離れたキャンパスから来るので、遅くなるのは仕方がありませんでした。滋賀県大の場合は、三時限の看護学部はみんなよく勉強するけど、4時限の工学部は、男子ばかりでできが悪いから進みが遅いのだと思っていました。
でもよく考えると、京大の場合は、薬学部の学生の方が、理学部よりずっとちゃんと勉強してるので、問題練習もテストの解説もずっと早く終えることができるのです。県大のほうも、工学部クラスは静かなので、授業の進行はスムーズでした。では、何に時間がかかっているのか?それはやはり私の解説でしょう。一コマ目の授業を終え、説明がわかりにくかったところを修正し、早く飛ばしてしまったところをもうちょっと丁寧に、とやっているうちに、前回よりも進みは遅くなる、というわけです。

今日の1.2時限は、ほぼ同じような学生が相手だったのに、2時限のクラスは、10分くらい予定が遅れて、授業の最後にDVDを見せる時間が取れませんでした。

でも考えてみれば、二回目の授業なのだから、一回目に余計だったと思う話は削ってしまって、逆に時間を短くすることだって可能なはずです。そうはいっても、なかなかそれが実現できないのは、授業の間の5分や10分では、話す内容の改変なんて、簡単にはできないんだってことですね。

2013年5月3日金曜日

ドイツ語の辞書について


ドイツ語学習者におすすめの辞書とは、どういうものだろうか?毎年春学期のはじめには、辞書の話をしている。たいていは、書店に並んでいる学習辞典の中から代表的なものを挙げて、それぞれの長所/短所を紹介するだけなのだが、どれが一番いいのかを決めるのは、なかなか難しい。結局のところ本人の好みだし、使ってみたい辞書があるなら、一冊に決めずに何冊も持っておいてもいいと思うからだ。教科書や参考書と違って、辞書は最初から最後まで読まなければならないものではない。ちょっとずつつまみ食い的に読んでも、浮気をしてもかまわないのだ。そう思っているうちに、私自身も多くの辞書を買い込んできた。
今回は、自分が使ったことがあるドイツ語の辞書を一冊ずつ紹介する。以下に挙げる辞書は、最初のマイスター独和以外は全て今でも自宅と研究室に保管してある。自分で言うのもなんだけど、こんなに学習辞典ばかりもってる独文学者も(辞書作る仕事をしてるわけじゃないのに)なかなかいないだろう。今回は独和辞典を中心に、最後にドイツ語辞典(独独辞典)を挙げる。他にも当然、『不変化詞辞典』や『語源辞典』なども持っている(あまり使いこなせてないけど)。
以下、購入した順に紹介したい。(一部順番が違ってるところもあるだろうけど)

本棚にとりあえず手元にあるものを並べてみた
・マイスター独和辞典(大修館) 大学入学時に、最初に選んだ辞書。浪人時代、ジーニアス第2版をつかって、英語の勉強に没頭したので、辞書といえば大修館だろうと思い購入。当時から自動詞/他動詞の区別が明記されていないなどの批判があったけど、派生語(複合語)の説明が親切ですごく使いやすかった。大学3年以降は独和大辞典にエースの座を譲ったけど、学部の4年間気に入って使い続けてきた。ぼろぼろになってしまっていたので、大学院に入った頃に、ドイツ語を勉強したいという同級生に譲ってしまい今は手元にない。その後絶版となり、古書店か大学図書館くらいでしか見る機会がないのが残念。

・ハンディマイスター独和辞典(大修館)マイスターの小型版。ベルリンに短期留学をする際に購入し、その後も大学の授業用に持ち歩いていた。

・独和大辞典コンパクト版(第1版) 大学3年になり、夏休み頃にそろそろ大辞典を買ってみては、と勧められ後期から使い始めた。分厚くて字が小さいので、使い始めはなかなか慣れなかったが、この辞書を使いこなせるようになれば、きっとドイツ語の本がスラスラ読めるようになるだろうと希望に燃え、毎日の通学にも持って行っていた。しかしこの年の冬に、第二版が出る。

・独和大辞典コンパクト版(第2版)第二版の通常版が出て、しばらくはそれを買おうか迷っていた。もちろん大辞典の通常版は18,000円くらいするので、学部生がおいそれと買える値段ではない。もう無理かな―と諦めかけてたころに、コンパクト版が出たので、大学4年の秋ごろに購入。卒業論文を書く際には世話になった。大学院修士課程に進学後は、しばらくの間、自分の基礎学力不足から、勉強が全く手につかなくなるほどのスランプに陥った。当時は日本語で文学作品を味わうことはあっても、ドイツ語の辞書を開くことすらできなかった。だから大辞典第二版は、買ってしばらくのあいだはほとんど新品のようにきれいだったが、博士課程に進学後にようやく日の目を見るようになる。

・コンサイス独和辞典(三省堂)どういう理由で買ったのかは覚えていないが、大辞典を引くまでもない、ちょっとした調べ物によく使っていた。持ちやすい大きさと巻末の和独が気に入って、博士課程に進学した頃によく使っていた。

・デイリーコンサイス独和辞典(三省堂)コンサイスよりも更に小さく、和独はより充実しているので、論文のドイツ語要旨を書く際によく使った。まあ、和独辞典なんてものは、ドイツ語を書く上では参考程度にしかならないのだが。

・アポロン独和辞典(同学社)改訂のたびに、出版社が送ってくれる辞書。これまでは装幀がなんか苦手(銀色のカバーだった)で、敬遠していたが、2010年の第三版は愛用している。こだわりのある訳語、見やすいレイアウト、巻末の発音解説が非常に充実しているなど、学習用としてはとても使いやすいし、授業時にも学生への説明の参考によく使っている。

・木村・相良独和辞典新訂版(博友社)専門家はみんなもってるらしいので、ヤフオクで購入。古い本なので、レイアウトや文字は非常に見づらい。しかし、意外な訳語が見つかったりするので、翻訳をするときには大いに役に立った。

・フロイデ独和辞典(白水社)インターネットで辞書のレビューを読むと、評価が分かれている、あるいは評判があまりよくない辞書らしいので、あえて使ってみようと思い購入。白水社の辞書に共通したフォントと表紙になっている。細い文字がやや見づらいがなれると目にやさしく感じられる。編者はみな京都の人たち。ふだんお世話になっている先生がたが編集していると思うと親しみが湧く。

・独和中辞典(研究社)人が使っているのを見たことは一度もないが、ネットで調べるとそこそこ評価が高いようなので購入。中辞典というだけに、やはり厚さがある。巻末にかなりボリュームのある和独辞典が収録されている。古書で買ったためかもしれないが、表紙の手触りがあまりよくなくて(ビニールのカバーがべたべたしてる)ため、あまり使っていない。

・アクセス独和辞典(三修社)新入生にドイツ語を教えていると、彼らが持っている真新しい学習辞典がまぶしい。当然のことながら、自分が学んでいたころとはお店に売ってる辞書のラインナップは異なっている。彼らの持っているいま風の辞書を見て、ついつい買ってしまったのがこの一冊。三修社の参考書と同じような、はっきり・くっきりとした見やすいレイアウトがいい。途中に挿入されている見開き2ページくらいの文法解説が非常に親切。巻末に収録されている和独およびドイツ語フレーズ集は、会話で役に立つ定形表現が数多く載っている。唯一の欠点は、アポロン、クラウンなどライバルとなる学習辞典に比べて重さがあること。

・郁文堂独和辞典第二版 私のクラスではアクセスやアポロン、クラウンを新入生に進めているが、勤務校の何人かの先生は、買うべき辞書は郁文堂とはっきり指定している。そんなにいうほどいい辞書なのだろうか、と気になったので最近古本で買って使い始めた。この辞書は私が学生の頃から定評があったけど、どうしても灰色の表紙や、ページを開いた時の古そうなフォントを見ると、使う気になれなかったのだ。まだこの辞書の良さが十分にわかったわけじゃないが、たしかに語の説明はいい。

・岩波独和辞典(増補版)ネット上での評判を目にして、そういえば見たことがなかったので購入。木村相良と同じ、新書サイズなので、字が小さくやや読みづらい。古い文献を読むときには便利そうだが、例文は少ない。