2013年4月13日土曜日

前期一週目が終了


専業非常勤講師になって、今年で2年目ですが、担当コマ数が一気に増えました。


仕事が増えるのは非常に有難いのですが、授業の準備がおいつかなかったり、体力が続かなくなったりするのではないかと少し心配でもあります。月曜日から新学期がスタートし、今週は10コマの授業を終えました。(月曜日の龍谷大学はまだ始まってなかったので、来週はさらに2コマ増えます)

授業がはじまると、体のいろんな部分に負担がかかります。まず第一はノド。
もともと声が大きい方ではないし、ひっきりなしにしゃべったりするのはむしろ嫌いなので、授業のように声を張って、一定時間しゃべり続けるというのは、苦しいものです。だいたい1日3コマの授業を終えると、ノドが痛くなります。人によってはマイクを使うという人もいるし、私も看護専門学校ではマイクを使ってきましたが、ドイツ語の非常勤を始めてからは、学生との距離感が近いほうが良かろうと思い、常にマイク無しで授業をしています。

ノドだけでなく、肩にも違和感があります。ジョギングをほぼ毎日しているので、基本的には肩こりはない(たまに、忙しい時期に睡眠不足になると痛みが出ます)のですが、今週はずっと右肩と右上腕がだるかったです。これはおそらく、久しぶりに板書をしたせいでしょう。第一回目なので、ドイツ語の例文や変化表をガリガリ書いたわけではありません。ほんのちょっと連絡事項を黒板に書いただけなのに、このだるさ。おそらく日頃あまりしない動作をしたために、ふだん使っていない二の腕のどこかの筋肉が張っているのでしょう。

私は幸いな事に、持病もないし、腰痛や肩こりもありません。めぐまれた体力と体質は、ほんとうに貴重な財産だと思います。今年は仕事だけじゃなく、研究にももっと一生懸命取り組みたいので、授業がない日には、体を動かしたり、お風呂にじっくりつかったり、疲労回復につとめたいところです。

ドイツ語IIではカフカとプラハについての
スライドを見せました。

2013年4月12日金曜日

おにぎりの赤ちょうちん


ドイツで話題になっててDVDが欲しかったんだけど、発売日が月末で買えなかった、映画「Sushi in Suhl」。DDRで最初の日本料理店をチューリンゲン州のズールという町に開いた、ロルフ・アンシュッツという実在の料理人をモデルにした作品だ。

この作品についての、日本語の解説記事を見つけたので、映画の予告編を見てみたんだけど、ドイツの日本料理店の場面で、店内にぶら下がってる提灯が気になった。なぜか、「おにぎり」と書いてあるのだ。日本料理店なのに、おにぎり?

そこで思い出したのが、ライプツィヒの「Umaii」というラーメン屋さん。(先日のエントリ、ドイツ語で人助けを参照)ここでも店の軒下にはやはり「おにぎり」のちょうちんがぶら下がっていて、寒風に揺れていた。たしかにこの店のメニューにはおにぎりもあるのだけど、ラーメン屋さんなのだから、「ラーメン」と書いておけばいいのに。
もしかして、この「おにぎり」の赤ちょうちん、ドイツで流行ってるのか?

2013年4月6日土曜日

ドイツ式の食べ方

ドイツ式の食べ方(?)

昨日ひさしぶりにジョギングしたついでに体重を測ってみたら、驚いたことにこの一ヶ月、とくに体重は増えていなかった。厳密に言うと1kgくらいは減ってた。まあそれくらいは誤差の範囲だけど、ぜんぜん増えてなかったというのは意外だった。毎日気持ち悪くなるくらい大量の食事をとっていたし、シャツもいくぶんきつくなっていたように感じていたからだ。ドイツに来て最初の数日で、ここに長くいたら、きっといろんな病気にかかったり、激太りしたりするだろうと確信した。なにせ、レストランに行ってもカフェに行っても食事がむちゃくちゃ多いし、ビールやお酒も昼からたくさん飲める(っていうか飲んでもいい雰囲気だし、安いのでおっさんとしてはすぐ飲んでしまう)。日本では二日と開けずに続けてきたジョギングも、月の半分以上は雪が降ってたので、あまりできなかった。これでは太らないで健康体を保っているほうが難しかろう


だけど太らなかったのは、おそらく規則正しい生活と、ドイツ式の食べ方ができていたせいじゃないかと思う。語学学校で朝食が食べられたので、毎日6時前に起きて、7時半頃には学校に行ってたし、夜は10時半から11時までに寝るようにしていた。ドイツ式の食べ方、というのは昼食を中心にした食べ方のこと。昼食がすごく多いせいで、完食は殆ど食べなかったし、夕飯もいつもほんの少し(パン2切れにハム、そしてにんじんを生でボリボリみたいな)しか食べられなかった。せっかく宿舎に住んでいるのだから、と何度か料理をしてみたが、キッチンが使いにくいし、包丁が信じられないくらい切れなかったので、手のこんだものはほとんど作れなかった。でも結果的にはそのために、昼にたくさん食べて、夜はちょっとだけ、という食べ方ができたので、よかったのだろうと思う。

ちなみにシャツがきつくなったのは、コインランドリーで温水で洗ったり乾燥機にかけたりして縮んだからだ。




朝食にはパンとたくさんのチーズや
ヨーグルトなど
ビールは500ml缶を数本常備
山盛りの焼きそば、そしてフライ


2013年4月5日金曜日

ドイツ語で人助け


私はドイツ語を教えることを仕事にしているけど、ドイツ人と会話することは年に一回くらいしかないので、ドイツ語会話に苦手意識を持ち続けていた。大学院でも周りの連中はみんな自分より年下なのに、はるかにドイツ語ができる人ばかりだったので、自分だけがダメだと思いがちになっていた。

ドレスデンで語学学校に通い始めてすぐに気づいたのは、自分のドイツ語力が思ったよりもあるということだった。もちろんドイツ語で論文を書いたり研究発表をしたりするのはまだまだかなり大変だし、ドイツ人と台頭にやりあうとかいうのは、ぜんぜん無理なんだけど、少なくとも自分の言いたいことを言って、自分の必要を満たす程度の日常会話ならちゃんとできるのだということがわかった。そりゃ15年以上も勉強してきて、今は大学で教えているのだから、当然というか、もっとできないといけないんだけど。

それはともかく、語学学校には15年前の私のように、ほとんどドイツ語が話せない学生もたくさんいる。第一日目のガイダンスや語学力テストの時点でつまづいてしまって、何をしたらいいのかわからなくなってる人もいた。

そういう人たちを見て、放っておけなくて、あれこれ手伝ってるうちに、ドイツ語で人助けをするのは自分の勉強になると気がついた。

自分の言いたいことではなく、人の言っていることをドイツ語に直して、第三者に伝えるというのは、当然のことながら自分の意思を伝えるより難しい。別に通訳者の難しさを問題にするまでもなく、ドイツ語であれば、主語や動詞が異なるし、この人はこう言っている、みたいに間接的な表現も使わなければならない。これは自分一人だったらできない練習なので、非常にいい勉強になった。

ライプツィヒでおつかい
人助けの一環として、ライプツィヒでお使いをしたことも書いておく。3月23日の土曜日、とんでもない寒さのなか、私はライプツィヒの国立図書館に出かけた。パウル・フレックシヒについての資料を閲覧するためだったのだが、ちょっとした手違いのせいで、資料は閲覧できず、もう一度月曜日に出直すことになった。

寒くて市内観光もほとんどできず、失意のうちにドレスデンに戻ろうと電車に乗り込んだところで、見覚えのある女性に声をかけられた。彼女は同じ語学学校に通う学生だけど、これまで挨拶はするものの、ちゃんと言葉を交わしたことは初めてだった。(ここでソフィアという名前であることがわかった。)でもお互い知ってるので、とりあえずどんなところを見てきた?と尋ねあううち、私が月曜にもう一度ライプツィヒに来るというと、彼女は古書店に行って、本を買ってきて欲しいと言い出した。

私の図書館と同じく、古書店の方でも、今日は倉庫から出せないが、月曜には用意できるというのだ。彼女はできればでいい、という。こういうめんどくさそうな頼まれごとって、どうしたらいいのだろう。一瞬考え込んだ。たぶん自分の周りの人間なら、10人中9人くらいは断るのだろう。だけど落ち着いて考えれば、べつにこのお使いに失敗して困ることはたいしてない。古書店は市内の中心だからすぐに行けるし、もし間違った本を買ってしまって、お金を払い戻すことになってもたかだか12ユーロだ。それなら引き受けよう。うまくいって彼女が喜んでくれればいいし。

ということでソフィアのお使いを引き受け、再び月曜日にライプツィヒを訪れた。今度は図書館での調査はトラブルなく終わり、当然お使いもすぐに済ませることができた。ただ、ソフィアの注文した古書というのが、「原人との遭遇」みたいなタイトルで、表紙には北京原人のような絵が描かれていて、ほんとにこれでいいのか?と不安もあったが、火曜日に本人に渡したところ、すごく喜んでくれて、お駄賃として板チョコをくれた。

あとでソフィアと同じクラスの子に聞いたが彼女は古代の美術に興味があるらしく、それで原人の本を買おうとしたのだという。
ラーメン店の軒下で揺れる
「おにぎり」の赤ちょうちん
ライプツィヒで見つけたラーメン専門店
日本好きのドイツ人が経営している様子

2013年4月4日木曜日

フェリペ・まさおのこと―ゲーテ・インスティトゥート・ベルリンの思い出


今回ドイツに滞在しているのは、ドイツ語教員向け研修プログラムの奨学金にあたったからなんだけど、実際のところ教授法の専門的な研修を受けてるわけでもなんでもなくて、ふつうにドレスデンで、ゲーテインスティテュートの語学講座に参加している。自分の語学力では、教授法コースはまだまだぜんぜん無理だと思ったからだ。語学コースはまあ当然、日本でさんざん勉強してきたことを復習してるだけなのでけっこう簡単なんだけど、単語の意味とか前置詞とか、辞書を引かずにすぐに答えられないことも多いので、即座にドイツ語で考える訓練としてはすごく役に立っている。

ドレスデンのゲーテ・インスティトゥートにいて思うのは、スペイン語(ポルトガル語も含む)人口の多さだ。たぶん次に多いのが、ロシア人とタイ人か。同じクラスにはスペイン人、メキシコ人、ブラジル人がいる。飲み会に行けば、半分くらいがスペイン語を話していたりする。京都で勉強していると、言語の重要度=学問の言語としての価値、という面でしか考えないので、スペイン語ってどうよ?と思ってたんだけど、帰国したら勉強してみたくなった。

ドレスデンには、スペイン語圏の人が多いが、98年に通っていたベルリンのゲーテには、北欧の人が多かった。Mehringdammの下宿は半分くらいがスウェーデン、デンマークからの学生で、どいつもこいつもすごい勢いでビールを飲んでいたのが印象に残っている。おそらく本国ではなかなかお酒が飲めないから、ドイツで羽目をはずしていたのだろう。

ベルリン時代は、Grundstufe2(今でいうA2、大学でいちおう履修したけど話せない、というレベル)だったので、まだドイツ語でまともな会話はできず、クラスの中ではあまり友達が出来なかった。クラスメートの中で印象に残っているのは、ブラジル人のフェリペだ。彼は日系3世で、まさおという日本名も持っていた。フェリペまさおが話せる日本語は、わずかに挨拶程度でしかなかった。でも、見た目はほぼ日本人なので、なんだか不思議な感じがした。フェリペまさおとは、語学講習が終わって以来会っていないが、なぜか急に思い出した。彼はドイツ語を学んで何をするつもりだったのだろう?いまはどこで何をしているのだろう?