2011年10月13日木曜日

レーシック手術の思い出


近鉄新田辺駅前、一休さんの像

術後一年が過ぎたので、レーシック手術を受けた当時のことやその後の経過についてまとめておきたい。

今の職場に就職した時、少ないながらもボーナスが貰えるということで、最初に思いついたのが、レーシック手術を受けることだった。もちろん本来であれば、奨学金という借金の返済に充てるとか、両親に温泉旅行をプレゼントするとか、将来に備えて蓄えるだとか、ちゃんとした使いみちを考えるべきだったのだろうが、当時の私にとっては、ドライアイと頭痛が日常生活の中でいちばんしんどいことだったのだ。結局最初の夏ボーナスは、発売されたばかりのMacBook Proを衝動買いして吹っ飛んでしまった。そこで昨年夏に、こんどこそということで、ボーナスを使って手術をうけることにした。


手術を受けたいと思っていても、なかなか踏み切れなかった理由の一つに、―もちろん手術の安全性とか料金体系とか、さんざん悩んだことはたしかだがいまは措いておく―、手術を受ける前にしばらく裸眼で過ごさなければならないということがあった。日頃外出するときはハードレンズをつけていたし、ジョギングや自転車が趣味なので、どうしてもメガネをかけてすごすというのはイヤだった。しかしながら、8月初めに京都の奥のほうに自転車で行ったときに、目にゴミが入って、痛みに悶絶したあげくレンズを落として無くしかけたことで、もう手術を受けるほかはない、と決意を固めた。お盆過ぎから8月末まで、メガネ着用で過ごし、9月初旬に安淵眼科で診察を受けることにした。


診察を受けに行った日は、かなり日差しの強い暑い日だった。一時間ほど待って、診察を受け、瞳孔が開く目薬をさされたりした。この目薬のせいで、帰りは視界がまぶしすぎて、なかばムスカみたいな状態で目を押さえてふらふらしつつ帰宅した。


一度目の診察の際に、手術の予約をするのだが、ちょうどすぐ翌日に受けられることになった。事前に調べてみたところでは、1〜2週間またされるかもしれない、ということだったので、看護学校や大学の新学期が始まってしまうことを心配していたのだが、早く受けられるならそれに越したことはないということで、検査の翌日に手術ということになった。

手術の当日は緊張などほとんどなかった。というのもちょうど〆切が迫っている原稿に追われていたから、それどころではなかったのだ。それ以上に、こんな時期に手術を受けてしまったら、原稿の仕上げやら校正やらの作業が滞ってしまうのではないかということが心配でしょうがなかった。

京田辺の医院についたのは手術の一時間以上前だった。待合室は検査の時と同様にたくさんの人がいた。ひとりずつ診察室に呼ばれ、30分後くらいに保護メガネをつけて出てくる。つぎからつぎへとレーシック手術を受けていたのだ。待合室においてあったモーニングを全て読み終わる頃、ようやく順番が回ってきて、診察室に通された。ここで何種類かの目薬や麻酔薬を刺された。目を閉じてソファに座っていると、だんだん薬が効いているのか目の周りがもやもやとしてくる。ちょうど抜歯の際の麻酔のようだった。10分ほど待って、手術室に入り、手術台に座らされた。看護師さんが手際よく目の周りにあれこれ処置を施す。目が閉じないようにまぶたを固定され、あれよあれよという間に頭が固定された。先生が目に光を当てながら、「動かないでね、動かないでねー」と連呼しつつ、眼球に何らかの器具をあてる。すると視界が一瞬暗くなり、つぎに水の中にいるみたいに見えた。おそらくこのとき角膜が切開されたのだろう。その後つよい光線が当てられ、ちょっと焦げ臭い臭がして、ふたたびさっき切開した角膜を先生がへらのようなものでぺたぺたくっつけた。これで片目が完了。つぎに同じ手順でもう一方の目にも処置が施された。その間私は、看護師さんが手渡したゴムボールをぎゅっと握りしめていた。痛くはなかったが、やはり恐ろしかった。眼球が切開された瞬間のことは今思い出してもぞくぞくする。その日病院を出ると、既に暗くなり始めていた。防護メガネ越しにも、視力が良くなったことはわかったが、まだ視界が安定していないし、家に帰ると少しずつ麻酔が切れて目がちくちくと痛んできた。精神的にダメージを負った感じがして、その晩は早く眠った。

手術翌日の自分撮り。目が腫れている。しかし本当は
防護メガネが合ってなくて目よりも頭が痛かった。
 手術翌日から一週間目くらいは、眼球にソフトレンズが張り付いているような違和感が残って、エアコンの風が直接当たるときなどに、不安を覚えたが、とにかく視力は飛躍的に上がった。一眼レフのカメラで撮った写真の鮮やかさに驚くように、私は自分の肉眼で見える景色に驚いた。これまで生活していた世界が、こんなに細部まできっちり見えるということに感動していた。

一週間が過ぎ、ふつうにシャワーを浴びたり運動したりできるようになった。もうこの頃には手術前と同じように眼球を動かすことができた。目薬も病院で言われたとおりに点眼していたので、何も心配はなかったのだが、手術から3週間後に、左目が真っ赤に腫れ上がった。最初はドライアイかと思い、もらった目薬を多めに注していたのだが、一晩たったら頭痛もしてきたので、眼科に駆け込んだ。レーシック手術による感染症を危惧したが、ウィルス性結膜炎だということがわかった。病名がわかって少し安心したが、結膜炎はけっこう厄介で、左目の腫れがひくのに一週間かかったと思ったら、さらに右目も腫れてしまい、治るのに二週間くらいかかった。

しかしその後は特にトラブルもなく、12月の3ヶ月後検査でも、右1.5,左1.2という視力だった。それからさらに半年以上過ぎた現在でも、たぶん両目の視力はほとんど変わっていないと思う。私自身は、手術をうけてほんとうによかったと思ってるし、手術のおかげで生活の幅が広がったと痛感している。とはいえレーシック手術によるトラブルは多いし、何年も過ぎた後に現れる症状などは、まだ予想がつかない。だからなかなか他人にすすめるわけにはいかないのだろうが、少なくとも私は何年か後にふたたび視力が下がってしまうとしても、手術を受けたことは後悔しないだろうと思う。

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