2013年8月15日木曜日

テストというコミュニケーション


学期末テストの採点が終わり、担当する12クラスすべての成績を登録することができた。

大学でドイツ語を教えるようになって4年目(民間の語学学校、個人教授などはもっと前からやってた)になるけど、テストのたびに、自分の教え方を考えなおさせられる。

テストのできは、かならずしも学生のでき、いわゆる頭の善し悪しや勉強量と相関があるわけではない。いや、おそらく相関関係があるのだろうけど、私が重視しているのはそういうことではない。ドイツ語の期末試験で重視するのは、ドイツ語がどれだけできるようになっているか、ということよりも、その学期中に教えたことがどれだけ身についているかということである。つまり、よほど勉強してない(ほとんど授業に出ていないとか)一部の学生以外は、だいたいみんなできて当然なのが、学期末試験だと私は考えている。

しかし、当然のことながら全員が全員100点をとるようなクラスはない。全体的によくできているクラスもあれば、全体にできていないクラスもある。そしてできの善し悪しにかかわらず言えるのが、同じクラスの中では、正答率が低い設問は同じだということだ。それはその設問が問う内容について、私が授業中にちゃんと説明しきれなかったということでもあるだろう。

あるクラスでは(このクラスは全体的によく出来ていたが)命令形の間違いが多かった。別のクラスでは、前置詞についての設問が正答率が低かった。また別のクラスでは形容詞の語尾が、あるいは定冠詞類・不定冠詞類のミスが目立つクラスもあった。

このように、設問ごとに大きな差が生じてしまうのはどこの大学でも同じだ。そして、どの大学の学生も、同じ文法項目で躓いているわけではない―たとえば形容詞でみんな間違うとか―ので、やはり教材や教え方に問題があったのだと考えないわけにはいかない。教え方に問題があるとは、どういうことだろうか。説明の仕方がわるかったのかもしれない。もっとパートナー練習や問題練習をやったらよかったかもしれない。宿題で作文や読解の練習をやらせればよかったかもしれない。このように、テストを採点することで、個々の学生の頑張り様だけでなく、それぞれのクラスの授業でどのような反省点があったのかもわかってくる。

定期テストは授業アンケートよりもずっと有効な、教員と学生のコミュニケーションだ。彼らに私の言いたいことが伝わっていなければ、それは得点として現れる。文法事項の不理解だけでなく、学生の勉強の仕方は、逆に私の授業への意気込みに対する答えでもある。彼らの不勉強をせめてもしかたがない。反省すべきは、自分の授業のやり方だ。少しでも勉強してテストに臨んだ学生の期待をうらぎってはいけない。後期の授業に向けて、各クラスごとに反省点をまとめておきたい。