2014年9月18日木曜日

ドイツふりかえり3博物館めぐり

今回の滞在では、フランクフルトとライプツィヒの国立図書館だけでなく、さまざまな分野の資料を閲覧し、図録や本などを買うため、いろいろな博物館にも行ってみた。フランクフルト、ライプツィヒ、ドレスデンで行ってきた博物館について順を追って整理したい。

知人に勧められてフランクフルト滞在二日目に訪れたシュテーデル美術館。美術館ってけっこう体力を奪う(集中して見るから?)からちょっと敬遠してたんだけど、行ってみたらやはりすばらしかった。この美術館は、中世・近世の絵画から現代美術まで、非常に幅広くそして数々の名作が収められている。とりわけ有名なのは、イタリアのゲーテ像。ゲーテが座っている背景が非常に細かく書き込まれているが、なぜか私はゲーテの足が小さいことがちょっと気になった。印象派以前の絵画を見ると非常に緻密に木々の葉を一枚一枚描いている絵が多いが、そのぎっしり緑が茂る様子は、ちょうどいま自分が外で見ている夏のドイツの風景と同じなんじゃないかと気づいた。つまり、短い夏に一気に生い茂る緑が人に与えるエネルギーみたいなのが、こういったぎっしりした絵を描かせるのではないかと思った。

マイン川の橋からみたシュテーデル美術館

私は、2013年3月にドレスデンに滞在した際にも、ライプツィヒを一度訪れている。(過去日記参照)当時は博士論文を刊行する準備を進めており、そのためにいくつか行っておきたい場所があって、その一つがこの博物館だった。クラインガルテンというのは、1860年代後半に、ライプツィヒの医者で教育家だったダニエル・ゴットロープ・モーリツ・シュレーバーの身体運動を重視する教育論に感銘を受けたハウスシルトという人物が、ライプツィヒ西部に開いた庭園を起源としている。ハウスシルトはシュレーバーの理念に則り、いくつかの個人菜園(20m四方くらい)と遊技場(100m四方くらい)を備えたシュレーバー庭園を各地に設立した。これが現在までドイツ各地にあるクラインガルテンとして残っている。博物館では、初期のクラインガルテン協会から、20世紀以後にどのように発展していったかが多数の写真や当時の物品とともに解説されていた。クラインガルテンというのは、単なる趣味の菜園としてのみならず、子供の教育や、大人の余暇活動、そしてドイツ人の自然観とも関わっているし、さらに100年以上前のドイツ人が都市生活をどのように考えていたのかを知る上でも大変興味深いものである。これまでは、シュレーバーの教育論にもっぱら関心を持ってきたが、もう少し後の時代のことも含め、調べてみたいと思った。
シュレーバー協会設立に関わった人物たち

D.G.M.シュレーバーの体操書


ここも単著を出す前に訪れなければならないと思いながら、ライプツィヒ滞在時には行くことができなかった場所。前回はまだ真冬の寒さだったし、場所がうろ覚えで、道に迷ってたどり着けなかったのだ。路面電車くらいしか通らない広々としたJahnalleeをガタガタ震えながら歩いて生命の危険を感じた。今回は時間に余裕があったので、しっかりホームページで確認して行ってみたところ、クラインガルテン博物館のすぐ近くだった。小さい博物館なので、開館日が限られており、ライプツィヒ到着から一週間近くたってから、ようやく訪れることができた。展示は、やはりこの街で一番有名な精神病患者、ダニエル・パウル・シュレーバーについても大きく取り上げられていた。すぐ近くのクラインガルテン博物館では、父親のモーリツ・シュレーバーの肖像画が掲げられていたが、息子のダニエル・パウルについてはまったく言及されていなかった。
ドイツ語圏を代表する精神病者ダニエル・パウル・シュレーバーについての展示パネル

英語の翻訳書とともに、日本語版のシュレーバー回想録もあった


こちらは前回の滞在時にも訪問している。二度目だ。常設展として、古代中世から20世紀の大戦にいたるまで、ドイツを中心にさまざまな武器や軍事車両、新聞記事や衣服などが展示されている。この博物館は、かつてのドイツ軍の砲兵工廠に作られている。そのため建物がとても大きく、展示物も大きなものが多い。兵士を東部戦線へと運んだ貨車とか、ドイツで最初に建造された潜水艦、そしてドイツで最大の口径を誇った巨大な大砲とその砲弾(直径80センチ)などはとても見応えがある。前回も興奮して写真をとったが、今回も一番印象に残っているのは、ミサイルと防衛(Waffen und Schützen)の部屋。10m以上ある高い天井から、大小様々なサイズのミサイルが吊るされる。一方地上には、コンクリートや鋼鉄で作られたトーチカ(大きい物ではなく、個室サイズ)が置かれている。当時の兵士たちは、分厚いコンクリの塊とはいえ、こんな小さな密室に隠れて、ミサイルの攻撃に耐えていたのかと思うと恐ろしくなった。
今回行こうと思ったのは、特別展が興味のあるものだったため。精神病院の入院患者たちが、どのように戦争を体験し、それを記述したかというもの。それぞれの絵に、患者ひとりひとりの思い入れや恐れが反映されていて、もっとじっくり調べたいテーマだと思った。
軍事博物館の外観

コンクリート製のトーチカ。人がひとり入るのがやっとの大きさ。

スポーツと教育についての調査が今回の滞在の中心的な目的だった。そのため、国立図書館だけでなく、こういったスポーツ関係の博物館で展示を見たり、図録を買ったりしようと思っていたのだ。ドイツで大きなスポーツ博物館は、ケルンのオリンピック博物館だそうだ。しかしケルンは遠い。フランクフルトからは大して遠くないが、フランクフルトとライプツィヒに滞在する予定であれば、ケルンは方向がずれる。どうにかならないかともう少し調べたところライプツィヒにも博物館があることがわかった。とくにライプツィヒのスポーツ博物館は、ライプツィヒとザクセン地方の体操の歴史、そしてDDRにおけるスポーツの歴史についての資料を収蔵しているらしい。それならなおのこと好都合と思ったが、現地に来てようやくこの博物館が常設のものではなく、メールで訪問の予定と目的を連絡しなければ入れないということが分かった。しかも博物館側は、毎日午後に一通しかメールをよこさない。つまりメールのやりとり一往復で2日かかるのだ。そのため最初のメールから一週間たってようやく博物館を訪れることができた。博物館といっても、倉庫の半地下室の物置だ。事務室や作業場があるが、それ以外はダンボールや本棚そして通路にも未整理の収蔵品がおいてあった。この物置の一角にデスクを一つ貸してもらい、そこでドイツの体操についての資料を見せてもらうことができた。資料を探すとはいえ、この博物館に何があるのかよくわからないままに来てしまった私は、とりあえず学芸員さんが提案してくれた資料と、別の資料にタイトルが出てきた雑誌をいくつかデジカメで撮影するくらいのことしかできなかった。もう少し調査を進めて、欲しい資料がはっきりしていたら、この博物館ももっと有効に使えるかもしれない。また来年辺りくるかもしれない、と伝えると学芸員の女性はいつでも来てねと笑って言った。
博物館で貸してもらえたデスク

デスクの後ろにはあん馬と資料の棚

音楽には詳しくないが、機械としての楽器は面白いし、音声という自然にあふれているものを秩序化する音楽、そして音楽を作るための楽器の発展というのは、コンピュータや通信メディアの発達とも大いに関係があるように思えるので、以前から興味を持っていた。古い弦楽器や鍵盤楽器の展示を見ていると、弦の数が今よりも多かったり、作りがはるかに複雑だったりする。おそらくは、音の分節化が今とは異なっていたのだろう。時代が下るにつれ、楽器はシンプルに軽量化されていく。そして19世紀末には自動楽器や録音再生装置が開発される。この博物館でなんとしても見たかったのが、この「ジンフォニオン」である。シュレーバーが入院中に愛用したというこの自動楽器は本当はどのようなものなのか、実は本を出す直前までよくわかっていなかった。ピアノのように大掛かりなものか、またはエジソン蓄音機みたいな円筒状の音盤をくるくる回すものだろうと思っていた。試しにネットで調べてみて、今のレコード再生装置と殆ど変わらない外観であることに驚き、ジンフォニオンについての論文中の記述を修正したりもした。今回ようやく本物を間近に見て、思いの外小さいことに驚いた。写真からも分かるように、音盤の大きさは30センチくらい。外箱も一辺の長さは35cmほどだ。これだけコンパクトな装置が100年以上前にはもう作られていたことに感動した。この博物館のすばらしいところは、楽器の展示だけでなく、各部屋に設けられた機械で、当時の楽器の音を聞くことができるということだ。自動楽器の奏でる音楽も聞くことができた。
博物館の外観。庭園もとてもきれい。

ジンフォニオン(ディスクオルゴール)

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