2011年11月5日土曜日

カール・デュ・プレルの翻訳

シュレーバーという人物がじつに興味深いのは、彼自身がどの様な本を読んで、自分の思想をつくりだしていったのかを、しっかり明記しているという点である。


シュレーバーの『ある神経病者の回想録』第6章、注36には、彼がこれまでに何度も読み、影響を受けた作家とその著作が列挙されている。そこで挙げられているのは、カール・デュ・プレルの『宇宙の発達史』、エルンスト・ヘッケルの『自然創造史』、ヴィルヘルム・マイヤーの雑誌『天と地』、エドゥアルド・フォン・ハルトマンが『現代』誌に発表した論考などである。中でも幾度も言及されているのが、カール・デュ・プレルという人物の著作である。


カール・デュ・プレルは1839年にバイエルンの古都ランツフートで生まれ、哲学および法律を修めた後軍務に就き、1870年代以降は退役して、在野の研究者として活動した。デュ・プレルという名前は今日ではもはやすっかり忘却されてしまっている(日本でも専門の研究者はいないし、学術論文も皆無だ)が、19世紀末にはかなりの影響力を持っていたと考えられる。それは彼の代表的な著作、『心霊主義』がレクラム文庫の一冊として刊行されていたことや、夢研究の大著『神秘哲学』(1885)がフロイトの『夢解釈』において言及されていたことなどからもうかがい知ることができる。


デュ・プレルの関心は宇宙進化論から心霊主義まで幅広く、著作の数も多い。(『氷河の十字架』(1890)という長編小説もある。長くてまだ読めてないが)私としては今後デュ・プレルの心霊研究活動をより詳しく研究していこうと考えている。その第一歩として、彼の代表作であり、シュレーバーにも大きな影響を与えたと考えられる、『心霊主義』の一章「いかにして私は心霊主義者となったか」を訳出した。デュ・プレルの文章は非常に読みにくく、何度読んでも意味が分からない箇所や誤訳もあるかもしれないが、こういう形で一つでも資料を使える形にしておくことが、自分にとっても、この分野に関心をもつ人にとっても意味があるのではないかと考えている。




いかにして心霊主義者

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