2013年7月14日日曜日

勉強しはじめる学生たち


7月に入り、4月から開講したドイツ語のクラスは、11週から12週目を迎える。この時期、なぜかどの大学のクラスでも、学生たちがよく勉強するようになってくる。試験が近いから、欠席が多かった者は、必死で出席点を稼ごうとするし、小テストができなかった者は、なんとか期末テストでは挽回しようとする。それはもちろん当然のことだ。所詮大学での第二外国語などというものは、試験のため、単位のために学ぶものでしかないのだろう。だが、私には、学生たちはべつにテストのためにのみ、にわか勉強をしているわけではないのではないか、と思えるのだ。

4月から5月頃、どの大学でも、学生たちは、ドイツ語の勉強にとまどう。ローマ字読みといわれるものの、ところどころ独特のルールがある発音、名詞の性や定冠詞・不定冠詞の格変化、動詞も人称代名詞ごとに形が変わる。これまで中学高校で勉強してきた英語とは、ずいぶん異なっている。別の言語なのだから当然だし、受験英語とは勉強の仕方や目指すべきものもことなっている。多くの学生たちはここで困惑する。コメントカードを書いてもらったり、小テストの際に感想を聞くと、覚えることが多い、ついていける自信がないなど、否定的・悲観的な意見が多い。それがだんだんと変わってきた。
いったい何が変わったのだろう。

おそらく学生たちは、ドイツ語の分からなさをうけいれられるようになったのかもしれない。ドイツ語の学習では、というより大学での勉強において重要なのは、分からなさをふくめて、あるいは分からなさを抱えながら、勉強を続けていくということだ。何もかも全部分からなければならないのではない。そうではなく、分からないなりに、すこしずつわかっていく必要があるのだ。

これは、初級クラスだけではなく、カフカの講読をやってる中級クラスでも同じ。中級クラスでは、短編小説を読んでいるが、そこでもやはり、語義や解釈の多様性、こうも読めるけど別の読み方もできるというゆらぎのなかで考えながら、読んでいくという作業が必要だ。それも、徐々に出来るようになってきた。前にも書いたが、学生たちが学ぶプロセスを見るのは、私にとっての学び直しでもある。だからなおのこと、彼らの学習が変化していくのを見るのは興味深い。

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