2011年10月4日火曜日

看護と倫理1第3回

看護と倫理三回目の授業資料です。

前回とりあげたエンハンスメントというテーマは、ピストリウス選手のハイテク義足のような現代的、あるいはさらに未来の問題のように思いがちですが、実はかなり古くからこのような議論や問題提起は繰り返されています。

看護と倫理とは関係なく、自分が専門的に勉強してきた、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ文化においても、人間とは何か、技術と人間、人間はどこまで発達できるか、どのように新しい人間となるのか、といった問題は多くの知識人、市民の関心を集めていました。

たとえば先日のエントリで言及したデュ・プレルは、人間は死んでしまえば物質的な身体は失ってしまうが、 物質ではない霊的な存在である「アストラル体」となって、死後の世界―決して生の世界と分断されているわけではない―でさらなる発展を遂げると考えていました。デュ・プレルにおけるさらなる発展のイメージは、彼が生きた時代のテクノロジーへの希望が色濃く反映されているのではないかと考えられます。


授業時に学生からもらったコメントでは、性別適合手術はエンハンスメントなのか?治療なのか?という問いもありました。これも非常に興味深い問題です。とりあえず知っていることや調べられることを集めて、治療とは何かという話を補足しておきました。
第3回目のテーマ学習は、動物実験と動物の権利を取り上げました。動物実験の実情を説明すると、動物かわいそう、実験やめよう、という感情的な反応ばかりになってしまうので、動物の権利を考えるということは、逆に何が人間なのかを考えることにつながるという話をして、前回のテーマとの連続性を強調しておきました。

倫理1-3

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