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2011年10月25日火曜日

看護と倫理1第7回

看護学校付近の家の猫ちゃん
22日の土曜日に、第6回の講義を終えたばかりだが、月曜日には第7回の講義を済ませてきた。7回目は半分を講義内容のまとめ、もう半分が中間テストとなっている。そのため、講義らしい講義ではなかったのだが、前回のコメントまとめとテーマ学習の解題をするので、コメントカードを一日で全部読まなければならなかった。たいてい40人分のコメントを、2日くらいに分けて、すこしずつ読んでいるので、まとめて読むのはかなり大変だった。

授業後1週間なり2週間のあいだがあって、その間に私も学生たちも、じっくり考えをふくらませた上で、次の授業での振り返りを行うから意味があるのだが、今回は中1日しかなかったので、前回の自分の説明をもう一度少し言葉を変えて、繰り返すことしかできなかった。

テストについては、教科書の内容が同じなので、問題も変更のしようがなかったため、昨年作った問題を元に、少しだけ手直しして出題。テストが始まる直前に、レジュメに載せた、教科書のまとめを説明していたので、どの学生もちゃんとできていたようだ。

看護と倫理1はこれで修了。今後は4月から看護と倫理2が開講し、あと9回の講義をすることになる。学生たちとせっかく打ち解けてきたのに、もう終りというのは残念だけど、来年春にまた顔を合わせることになるので、その時を楽しみに待ちたい。
倫理1-7

看護と倫理1第7回

看護学校付近の家の猫ちゃん
22日の土曜日に、第6回の講義を終えたばかりだが、月曜日には第7回の講義を済ませてきた。7回目は半分を講義内容のまとめ、もう半分が中間テストとなっている。そのため、講義らしい講義ではなかったのだが、前回のコメントまとめとテーマ学習の解題をするので、コメントカードを一日で全部読まなければならなかった。たいてい40人分のコメントを、2日くらいに分けて、すこしずつ読んでいるので、まとめて読むのはかなり大変だった。

授業後1週間なり2週間のあいだがあって、その間に私も学生たちも、じっくり考えをふくらませた上で、次の授業での振り返りを行うから意味があるのだが、今回は中1日しかなかったので、前回の自分の説明をもう一度少し言葉を変えて、繰り返すことしかできなかった。

テストについては、教科書の内容が同じなので、問題も変更のしようがなかったため、昨年作った問題を元に、少しだけ手直しして出題。テストが始まる直前に、レジュメに載せた、教科書のまとめを説明していたので、どの学生もちゃんとできていたようだ。

看護と倫理1はこれで修了。今後は4月から看護と倫理2が開講し、あと9回の講義をすることになる。学生たちとせっかく打ち解けてきたのに、もう終りというのは残念だけど、来年春にまた顔を合わせることになるので、その時を楽しみに待ちたい。
倫理1-7

2011年10月24日月曜日

看護と倫理1 第6回

10月23日、時代祭に出くわす。10年以上京都に住んでて初めて見た。
一年生向け看護と倫理は、今日が第6回目。全7回で、7回目はこれまでの授業の振り返りと中間テストなので、実質授業らしい授業は今回が最後。

テーマ学習は、昨年もとりあげた、核廃棄物などの処理と世代間倫理について。正直このテーマを取り上げることにはためらいがあった。もちろん福島での原発事故があったからだ。あのような決定的な事故が起こってしまった今、原子力発電という技術自体の是非を聞くのはもはやナンセンスだ。そうなると、設問全体を作り変えないといけないかもしれない。そんなことを考えていたのだが、時間がなくなってしまったので、原発事故が起ころうと起こるまいと、原子力発電をするうえでの大前提として、核廃棄物をどう処理し管理するかを考える、という設問にした。

後半の世代間倫理と世代内倫理の問題は、この半年何度も考えさせられた。子孫に良い環境を残すことは大切だが、現在における社会的な不平等や不便をそのまま放置することもできない。この問題は当然今後の原発問題についてもあてはまる。原発をやめよう!と決定したあとが大変なのだ。これまで原発で仕事をしてきた人、原発からのお金に頼ってきた自治体などはどうしたらいいのか。そもそも原発が作ってきた電気は、遠く東京や大都市で使うためのものだった。それで都会を離れた安全な場所を求めて、東北の僻地に建設したわけだ。そして今度はまた、原発は危険だからやめよう、という都会からの意見で、原発が廃止されることになるのだろうか。結局のところ原発が置かれている場所の人々は、お金を出し、作られた電気を使う、都会の人々の意見に従うことしかできないのではないか。

そのように考えると、原発に限らず、世代間倫理や環境問題といわれる諸問題には、都市と地方、帝国と植民地という地域的な格差の問題が強く影響しているということが分かる。

そこで私が、自分にとって身近な、ある種原発的な問題として思いついたのが、巨大ショッピングモールのことだった。実家のとなり町、佐野市にはイオンモールとプレミアムアウトレットモールが隣り合っていて、さらに巨大なコジマ電気も並立して、ある意味世界の中心のような状態である。日曜日にはお店にやってくるたくさんの車が列をなすし、新聞にはそれらショッピングモールの求人がたくさん入ってくる。一見巨大モールのおかげで、となり町や周辺市町村は活気が出て、潤っているかのように見えるが、本当にそうなのか。巨大モールが栄える一方、地元の商店街は瀕死状態だし、周辺市町村に以前からあった、スーパーも閑散としてきている。このままショッピングモールがあり続けたらどうなるのだろうか。あるいはさらに恐ろしいのは、ショッピングモールが、撤退してしまった場合だ。そうなったら、既にすっかり衰退してしまった町はどのように再生することができるのだろうか。

このような問題について学生にも意見を求め、自分自身にとって身近な別の例を考えてもらった。なかなか具体例は出なかったものの、やはり私自身が思ったように、地方から都市に出てきた学生の方が、都会と地方の格差という視点から考えることができていたと思った。

倫理1−6

看護と倫理1 第6回

10月23日、時代祭に出くわす。10年以上京都に住んでて初めて見た。
一年生向け看護と倫理は、今日が第6回目。全7回で、7回目はこれまでの授業の振り返りと中間テストなので、実質授業らしい授業は今回が最後。

テーマ学習は、昨年もとりあげた、核廃棄物などの処理と世代間倫理について。正直このテーマを取り上げることにはためらいがあった。もちろん福島での原発事故があったからだ。あのような決定的な事故が起こってしまった今、原子力発電という技術自体の是非を聞くのはもはやナンセンスだ。そうなると、設問全体を作り変えないといけないかもしれない。そんなことを考えていたのだが、時間がなくなってしまったので、原発事故が起ころうと起こるまいと、原子力発電をするうえでの大前提として、核廃棄物をどう処理し管理するかを考える、という設問にした。

後半の世代間倫理と世代内倫理の問題は、この半年何度も考えさせられた。子孫に良い環境を残すことは大切だが、現在における社会的な不平等や不便をそのまま放置することもできない。この問題は当然今後の原発問題についてもあてはまる。原発をやめよう!と決定したあとが大変なのだ。これまで原発で仕事をしてきた人、原発からのお金に頼ってきた自治体などはどうしたらいいのか。そもそも原発が作ってきた電気は、遠く東京や大都市で使うためのものだった。それで都会を離れた安全な場所を求めて、東北の僻地に建設したわけだ。そして今度はまた、原発は危険だからやめよう、という都会からの意見で、原発が廃止されることになるのだろうか。結局のところ原発が置かれている場所の人々は、お金を出し、作られた電気を使う、都会の人々の意見に従うことしかできないのではないか。

そのように考えると、原発に限らず、世代間倫理や環境問題といわれる諸問題には、都市と地方、帝国と植民地という地域的な格差の問題が強く影響しているということが分かる。

そこで私が、自分にとって身近な、ある種原発的な問題として思いついたのが、巨大ショッピングモールのことだった。実家のとなり町、佐野市にはイオンモールとプレミアムアウトレットモールが隣り合っていて、さらに巨大なコジマ電気も並立して、ある意味世界の中心のような状態である。日曜日にはお店にやってくるたくさんの車が列をなすし、新聞にはそれらショッピングモールの求人がたくさん入ってくる。一見巨大モールのおかげで、となり町や周辺市町村は活気が出て、潤っているかのように見えるが、本当にそうなのか。巨大モールが栄える一方、地元の商店街は瀕死状態だし、周辺市町村に以前からあった、スーパーも閑散としてきている。このままショッピングモールがあり続けたらどうなるのだろうか。あるいはさらに恐ろしいのは、ショッピングモールが、撤退してしまった場合だ。そうなったら、既にすっかり衰退してしまった町はどのように再生することができるのだろうか。

このような問題について学生にも意見を求め、自分自身にとって身近な別の例を考えてもらった。なかなか具体例は出なかったものの、やはり私自身が思ったように、地方から都市に出てきた学生の方が、都会と地方の格差という視点から考えることができていたと思った。

倫理1−6

2011年10月10日月曜日

看護と倫理1第5回

全7回の授業で、今回が5回目。毎回準備がものすごく大変なので、とにかく残り回数が少なくなることがうれしい。


今回は、教科書で基本的人権について解説。その後テーマ学習として、情報と倫理について事例を上げてディスカッション。レジュメを見ていただけば分かるだろうが、前回の自由と自由主義の話は思いの外、うまく伝わっていなかったように思う。授業時間中は、それなりにいい話し合いができて、うまくいったかなあ、と思うのだが、コメントカードを見ると残念な結果に終わる、ということはよくある。今回はどうなのだろうか。たぶん授業準備で一番時間がかかるのは、コメントカードへの返答とプリントにまとめて、補足説明を考える作業だ。毎回それだけで数時間かかってしまう。学生にとっても、自分にとっても必要な作業なのだろうが、仕事の負担としてはなかなか大きいものだ。


倫理1−5

看護と倫理1第5回

全7回の授業で、今回が5回目。毎回準備がものすごく大変なので、とにかく残り回数が少なくなることがうれしい。


今回は、教科書で基本的人権について解説。その後テーマ学習として、情報と倫理について事例を上げてディスカッション。レジュメを見ていただけば分かるだろうが、前回の自由と自由主義の話は思いの外、うまく伝わっていなかったように思う。授業時間中は、それなりにいい話し合いができて、うまくいったかなあ、と思うのだが、コメントカードを見ると残念な結果に終わる、ということはよくある。今回はどうなのだろうか。たぶん授業準備で一番時間がかかるのは、コメントカードへの返答とプリントにまとめて、補足説明を考える作業だ。毎回それだけで数時間かかってしまう。学生にとっても、自分にとっても必要な作業なのだろうが、仕事の負担としてはなかなか大きいものだ。


倫理1−5

2011年10月5日水曜日

看護と倫理1第4回

前回のテーマ学習では、動物と人間の関係について様々な意見が寄せられました。なかでも重要だな、と思ったのが、死刑囚を人体実験の被験者にすればいい、という意見。これについてはどうしても賛成することができないので、どうしていけないのかを、刑罰の意味にまでさかのぼって説明しました。

今回のテーマは、自由と自由主義です。サンデル先生の本からディスカッションのネタを拝借しました。お金の話なので、自由のはなしとの連続性がわかりにくいかな、と思ってまとめの時間にかなり説明を補いました。

倫理1-4

看護と倫理1第4回

前回のテーマ学習では、動物と人間の関係について様々な意見が寄せられました。なかでも重要だな、と思ったのが、死刑囚を人体実験の被験者にすればいい、という意見。これについてはどうしても賛成することができないので、どうしていけないのかを、刑罰の意味にまでさかのぼって説明しました。

今回のテーマは、自由と自由主義です。サンデル先生の本からディスカッションのネタを拝借しました。お金の話なので、自由のはなしとの連続性がわかりにくいかな、と思ってまとめの時間にかなり説明を補いました。

倫理1-4

2011年10月4日火曜日

看護と倫理1第3回

看護と倫理三回目の授業資料です。

前回とりあげたエンハンスメントというテーマは、ピストリウス選手のハイテク義足のような現代的、あるいはさらに未来の問題のように思いがちですが、実はかなり古くからこのような議論や問題提起は繰り返されています。

看護と倫理とは関係なく、自分が専門的に勉強してきた、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ文化においても、人間とは何か、技術と人間、人間はどこまで発達できるか、どのように新しい人間となるのか、といった問題は多くの知識人、市民の関心を集めていました。

たとえば先日のエントリで言及したデュ・プレルは、人間は死んでしまえば物質的な身体は失ってしまうが、 物質ではない霊的な存在である「アストラル体」となって、死後の世界―決して生の世界と分断されているわけではない―でさらなる発展を遂げると考えていました。デュ・プレルにおけるさらなる発展のイメージは、彼が生きた時代のテクノロジーへの希望が色濃く反映されているのではないかと考えられます。


授業時に学生からもらったコメントでは、性別適合手術はエンハンスメントなのか?治療なのか?という問いもありました。これも非常に興味深い問題です。とりあえず知っていることや調べられることを集めて、治療とは何かという話を補足しておきました。
第3回目のテーマ学習は、動物実験と動物の権利を取り上げました。動物実験の実情を説明すると、動物かわいそう、実験やめよう、という感情的な反応ばかりになってしまうので、動物の権利を考えるということは、逆に何が人間なのかを考えることにつながるという話をして、前回のテーマとの連続性を強調しておきました。

倫理1-3

看護と倫理1第3回

看護と倫理三回目の授業資料です。

前回とりあげたエンハンスメントというテーマは、ピストリウス選手のハイテク義足のような現代的、あるいはさらに未来の問題のように思いがちですが、実はかなり古くからこのような議論や問題提起は繰り返されています。

看護と倫理とは関係なく、自分が専門的に勉強してきた、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ文化においても、人間とは何か、技術と人間、人間はどこまで発達できるか、どのように新しい人間となるのか、といった問題は多くの知識人、市民の関心を集めていました。

たとえば先日のエントリで言及したデュ・プレルは、人間は死んでしまえば物質的な身体は失ってしまうが、 物質ではない霊的な存在である「アストラル体」となって、死後の世界―決して生の世界と分断されているわけではない―でさらなる発展を遂げると考えていました。デュ・プレルにおけるさらなる発展のイメージは、彼が生きた時代のテクノロジーへの希望が色濃く反映されているのではないかと考えられます。


授業時に学生からもらったコメントでは、性別適合手術はエンハンスメントなのか?治療なのか?という問いもありました。これも非常に興味深い問題です。とりあえず知っていることや調べられることを集めて、治療とは何かという話を補足しておきました。
第3回目のテーマ学習は、動物実験と動物の権利を取り上げました。動物実験の実情を説明すると、動物かわいそう、実験やめよう、という感情的な反応ばかりになってしまうので、動物の権利を考えるということは、逆に何が人間なのかを考えることにつながるという話をして、前回のテーマとの連続性を強調しておきました。

倫理1-3

看護と倫理1第2回

第2回目は、1回目に集めたコメントカードから、代表的な意見や興味深い意見を集めて、「前回のコメントまとめ」として提示し、前回の振り返りから始めました。
それから教科書のまとめ、さらに今回のテーマ学習であるエンハンスメントについて、ちょうど世界陸上で活躍していた、ピストリウス選手の義足を例に、みんなに話しあってもらいました。(授業日は2011年9月10日です)





倫理1-2  

看護と倫理1第2回

第2回目は、1回目に集めたコメントカードから、代表的な意見や興味深い意見を集めて、「前回のコメントまとめ」として提示し、前回の振り返りから始めました。
それから教科書のまとめ、さらに今回のテーマ学習であるエンハンスメントについて、ちょうど世界陸上で活躍していた、ピストリウス選手の義足を例に、みんなに話しあってもらいました。(授業日は2011年9月10日です)





倫理1-2  

看護と倫理1第1回

堺看護専門学校での授業、看護と倫理のレジュメを掲載します。
看護と倫理は、1年生で7回、2年生で9回の講義となっています。
この回は全体を通じての第一回目となるので、倫理的な問題をどう考えるかという問題提起として、自分にとっては一番こだわりがある脳死臓器移植をどう考えるかという問いについて、みんなに意見を出し、クラス内で意見交換をしてもらいました。



倫理1-1

看護と倫理1第1回

堺看護専門学校での授業、看護と倫理のレジュメを掲載します。
看護と倫理は、1年生で7回、2年生で9回の講義となっています。
この回は全体を通じての第一回目となるので、倫理的な問題をどう考えるかという問題提起として、自分にとっては一番こだわりがある脳死臓器移植をどう考えるかという問いについて、みんなに意見を出し、クラス内で意見交換をしてもらいました。



倫理1-1