1999年秋、下高井戸の美並荘から引っ越しした日 |
あのようなインタビューは、どこの大学でも「卒業生の声」とか「先輩からのメッセージ」のような形で掲載されているのだから、本務校が変だ、というわけではない。(別に職場を批判しているわけではありません。気にしないでくださいエラい人たち!)だが、現実問題、広告代理店とか雑誌の編集者とか、有名企業だとかいった仕事につけるのは、卒業生の100人に一人くらいでしかない。では残りの99人は何になるのだろうか?何にもなっていないのだろうか?
私が昨年卒業制作を手伝った女子学生は、正社員としての就職はせず、非正規雇用で販売員の仕事をしている。彼女は何にもなっていない、ということになるのだろうか?
大学で仕事をするようになってから、何かになるということについてよく考えるようになった。それは、自分が学生たちを見ながら、この子たちはどんな大人になっていくのだろうか、と思うことがしばしばあったからだ。この子たちは、10年後何をしているのだろうか、自分よりもずっと充実した人生を過ごしてくれればいいなあ、といつも思うのだ。だが、将来彼らは何になるのだろうか?と考えたとき、はたと疑問が湧いてきた。そもそも、何かになるとはどういうことなのか?自分自身も35歳になったけど、何かになれたのだろうか?
大学を出て(学部を卒業して)、10年以上が過ぎたが、これまで自分が何かになっていると思ったことは殆どなかった。それはもちろん、何か=仕事だと思っていたから、アルバイトをして研究を続ける大学院生は、「何か」になったことにはならないと思っていたのだ。数年前に今の仕事を見つけて、私はたしかに大学から給料をもらって生活できるようになったので、大学教員にはなれたのかもしれない。とはいえ、やっていることは院生時代とほとんど変わっていない。日々生活の糧を得るための仕事をして、余った時間に読書をして論文を書いたり、マラソンをしたりする。それだけだ。それだけで、けっこう充実している。
私に関して言えば、大学を出て10年ちょっとが過ぎて、大学教員という「何か」になったというわけではない。学問を続け、お金をかけないで楽しく暮らす方法を考え、なんとなく今のような「生活」をつくりあげてきただけだ。
私が最初に感じた違和とは何だったのだろう。おそらく、優秀でクリエイティブな職業についた、100人に一人の奇跡のような、先輩の体験談を、「学生たちの将来像」のモデルとして掲げることに対してだろう。たしかに優秀な彼らの勉強法や就活必勝法から学ぶことはあるだろう。大学としても良い宣伝になる。だけど、学生たちの大多数はそのような就職をしない。そうではなく、大きくない会社に勤めたり、実家で自営業をしたり、デキ婚したり、子供がどんどん増えたり、非正規雇用を転々としたりしながら、彼らなりの生き方をつくっていくはずだ。多くの学生たちにとって、大人になるとはどういうことだろう?社会に出るとはどういうことだろう?という疑問を今の生活にひきつけて考えていくためのヒントは、むしろ輝かしい勝者たる先輩たちではなくて、平凡な仕事をしながらでも、充実した日々を過ごしているたくさんの「ふつうの」卒業生たちの声なのではないだろうか。少なくとも自分が学生だったら、研究者として第一線で活躍してバリバリ活躍している先輩だけでなく(よりむしろ)、研究者にはならなかったけど、それなりに楽しく充実した暮らしを営んでいる先輩の声も聞いてみたいと思ったはずだ。「ふつうの」とか「なんでもない」とか言われる人たちの生き方にも、当然私たちが学ぶことは多いのだから。
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