2011年10月20日木曜日

ドイツ語第3回 なぜ学生はドイツ語を学ぶのか

ドイツ語第1回目のスライドより
京大1年生のドイツ語は今日が第三回。三時間目のクラスは現在完了。五時間目のクラスは、接続詞を使った副文について。どちらのクラスの学生も、理系の子たちだが、非常に真面目で熱心に勉強している。テストをしますよ、というとものすごい力を発揮するのは、京大生という生き物の本能(活動し始めるやいなや話さずにはいられないという光線の本性と同じようなものだ)だが、テストではないふだんの授業も、みんなちゃんと出席するし、練習もまじめにやる。


いったい彼らはどうしてこんなにちゃんとドイツ語を学ぶのだろうか。もちろん私だって、ドイツ語を教えるのは楽しいので、彼らが楽しめるような授業になるよう、いつも心を砕いている。だから私の授業にちゃんと出席していれば、それなりに楽しく勉強できるし、ドイツ語もそこそこできるようになるだろうとは思っている。だけど、そもそもなんで、彼らがドイツ語を勉強しているのだろうと考えると、わからなくなってくる。


大学の独文科に入ってから、10数年がすぎ、いやなことばかりだったけど、少しずつドイツ語が理解できるようになってきた。私自身は、陸の牢獄である栃木を離れて、広い世界を見たいと思っていたし、中学1年生のとき、新聞で見たベルリンの壁崩壊以来、ドイツという国に興味を持っていたので、ドイツ語を学ぶことにした。だけど、彼ら、農学部の学生たちはどうしてドイツ語を学んでいるのだろう?逆に言えば、将来もっとやる気のない学生たちを前にした時、私はどうやって、彼らのモティヴェーションを高めることができるのだろう?


いまや語学といえば、英語でことたりてしまう時代だが、それなのにどうしてドイツ語を学ぶのだろうか。学ぶことの意義とはなんだろうか。きっかけではなく、日々学習を続けていく中で感じられるような意義。おそらく学生たちの何人かは、純粋に知的な作業として楽しんでいるのだろうと思う。だけど、それ以上になにかドイツ語を学ぶ楽しさはあるのだろうか?先日読んだ学会誌に、ドイツ語教育の専門家である有名な先生が、ドイツ語学習の意義を学生に説明するとき、どうしても無理やり言いくるめるような言い方になってしまうと書いておられた。偉い専門家の先生でも、学生を納得させられるような答えが見つからないのだろうか。


この問題については今後時間をかけてじっくり考えたり、あるいは学生たちにアンケートをとってみたりしたい。

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