長いこと考えていたテーマについて、少しずつまとめていこうと思い、このエントリを書き始めた。思わず長くなってしまったので、いくつかに分けることにしたい。
大学ナビという授業がある。人文学部の全新入生の必修科目で、大講義室(300人くらい入る)でのリレー形式の講義科目だ。私自身は講義担当者ではないが、学生スタッフや教務職員だけでは、資料の配布や学生の誘導などにときどき手が足りないこともあり、運営を手伝いながら、毎週聴講している。
大学の教員というのは不思議な仕事で、 長いこと勉強をしているのに、肝心の授業のやり方については、特に教わったりしない。だからみな、自分が大学に入ってから受けてきた授業を元にして、自分の授業をつくっていくのだろうが、私のように長いこと大学院にいすぎると、もはや学部時代にどんなふうに授業を受けていたのかなんてきれいサッパリ忘れてしまっている。だから、大学ナビのような講義科目で、多くの教員の授業を聞くというのは、自分の勉強として非常に有益なのだ。
専任教員だからといって、だれもが上手な講義ができるわけではない。学生にとって、あまりに難しすぎたり、あるいは非常に聞き取りづらかったりする講義もときどきある。学生はだいたいつまらなそうにしているし、途中退席することも多い。私は面白い講義だけでなく、ダメな講義についても、何がダメなのか毎回ノートにメモを取って分析した。おかげで看護学校や京大での講義科目では、ずいぶん落ち着いて授業ができるようになった。
毎週講義を聞いて、(さらにその講義への感想として書かれた)学生のコメントなどを見ていて、学生にとって、最も難しいのは、自分の意見を述べることではなくて、むしろ人の話を聞くことなのではないかと思うようになった。日本の学生はしばしば、自ら発信できない、表現できないと言われる。しかし、彼らができないのは積極的に発言をするということではない。発言しようにも何も出てこないということ―講義のコメントカードで言えば、白紙ということ―自体が問題なのだ。すなわち、質問をするという以前に、人の話を聞くということが、彼らにとって難しいのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿