メモをとるときは原則的にシャープペンシルで書く。ノートに自分の考えを書くときは、多色ペンを使う。多色ペンは、考えたことを書き足すのに便利だからだ。はじめに黒いインクで思いついたことを書き、つぎに調べて分かったことを青インクで書く。さらに考えてみてわかってきたことを緑、論文にする際に修正するべき点を赤、という具合に(べつに色ごとに用途を分けているわけではないが)書いている。
それで、なぜ本への書き込みは鉛筆かというと、あとで読みなおすときに邪魔だったら消してしまえるようにという配慮だ。なんども繰り返して読む文献は、消したメモもたくさん書きこまれている。
普段消しゴムを使うのは、この、不要なメモを消すときだけだ。だから月に数回程度しか使わない。ペンケースに入っている消しゴムを見てみたが、おそらくこれは10年近く使っているんじゃないだろうか。
このPlusのAIR-INという消しゴムに出会ったのは、たしか中学生3年の頃、関東進学予備校という名前ばかり偉そうなほぼ個人塾に通っていた時期だったはずだ。予備校の先生は基本的に一人だけ、独特の容姿だったため生徒たちにはコジキとか鳥の巣と呼ばれていた。塾長は髪の薄いバブル紳士のような中年で、コジキ先生がいない場合は、ときどき英語を教えてくれた。事務員などいないので、塾に電話がかかってくると先生は授業を中断して通話することになる。それでバブル先生は当時普及し始めた携帯電話を教室に持ち込んでいて、一度だけ先生がトイレに行った隙に、友人たちと携帯電話に触ってみたことがあった。アンテナがびよんびよんしてておかしかったのと、意外な重さでうぉっと声が出かけた。
予備校の教室の一階には事務用品と画材の店があって、そこで誰か友人が見つけてきたのだ。この消しゴムを見つけたのはたしか同じ中学から来ていたO野くんだったと思う。彼は数学が得意で、難関高校の入試問題を集めた『佐藤の数学』という問題集も教えてくれた。なぜか数学以外の科目のできがいまいちで同じ高校にはいけなかったが、浪人中にはいっしょに予備校に通っていて、たしか東京農工大学に合格したはずだ。O野くんから借りたAIR-IN消しゴムを使って、その軽い消し心地(こういう表現でいいのか?)がすっかり気に入った私は、すぐに教室の下の文具屋に走ったのだ。
あのころ、自分にとって消しゴムは文房具の中心にあったはずだ。なぜ、いつの間に、それはこんなにも周辺に追いやられてしまったのだろうか。大学生になったら、もう消しゴムなど使わなくなったのだろうか。そんなことを考えながら非常勤の授業の合間に大学図書館を訪れると、学生がたくさんいる。たくさんの学生たちが、消しゴムカスにまみれて勉強している。空いている机に文献を広げたところで、机の上が消しクズだらけでげんなりしたことが何度もある。
京大の学生はよく消しゴムを使う。たぶん大多数の図書館で勉強している学生たちは、数学や物理の問題を解いているからだろう(京大の学生はほとんど理系の学部に属している。図書館にいるような子はほぼ工学部・理学部・農学部そして法学部の学生だ)。数学や物理の勉強は、書いた答えを消しては直すが、外国文学の勉強で答えを消したり直したりすることはほとんどないのだろうから。
なぜ、急に消しゴムのことなどを書いているのかといえば、下のような記事を読んだからだ。専業非常勤講師は自宅か大学の図書館にしか居場所がない。非常勤講師控え室は弁当を食べ、コピーを取る場所であって、教材を作ったり自分の勉強をしたりする場所ではない。大学図書館に行けば、消しゴムまみれで数式を解く学生たちの間でなんともきまりの悪い思いをせざるを得ない。もう少し待遇がよくならないかと思う。
東京新聞2012年3月2日より<はたらく>低収入で待遇不十分 大学の非常勤講師
「研究室」である自宅の机でパソコンに向かう非常勤講師の男性。仕事関係の出費は自腹が多い=関西地方で 「大学の非常勤講師の窮状を知ってほしい」。こんな声が生活部に届いた。大学教育を支えているのに、生活を満足に支えられない収入に甘んじ、厚生年金をはじめ社会保険にも十分に加入できない。授業中の講義室以外に大学に居場所もなく、常に雇い止めの不安を抱える不安定な立場だという。 (稲田雅文)「学生も先生が週一度のパート労働者だと思っていないと思います。実情を話すわけにもいかない」。関西地方でフランス語やフランス文学を教える非常勤講師の五十代男性は自嘲気味に話す。男性は関西の公立と私立の三大学で九十分間の授業をそれぞれ一週間に二コマ、計六コマを受け持っている。報酬は一コマ当たり月二万五千円、一回の授業だと六千円を上回る程度。あとは交通費が出るだけだ。年収は二百万円に届かず、上がる見込みもない。大学には講師控室があるのみ。じっくり作業できる場所はなく、自宅が「研究室」になっている。いつでも学生の質問に答えたいが、授業後に講義室に残って対応するしかない。一人暮らしに必要な経費を切り詰めて、研究のため必要なフランス語の本を月一万円ほど買うほか、教材にするためフランスのテレビ放送を視聴する経費もかかっている。働くため欠かせないパソコンやネット接続費用などもすべて自腹だ。国民年金保険料は納めているものの、国民健康保険料は「毎月払ったら生活できない」。過去に借りた奨学金の返済も求められており、話し合いで月五千円ずつ返済している。専任教員を目指し、募集があれば何度も応募したが採用されなかった。フランス語教員自体の需要が減っており、いつ雇い止めになるかも不安だ。「フランスの文化を普及させようと思う使命感だけが支え。ボランティア活動と思っています」と男性。「まだ自分はまし。今は大学院の定員が増え、若い世代は非常勤講師の口も少なく、警備員や家庭教師などをしてしのいでいる」と語る。「大学の授業の半分は非常勤講師が支えている。今の賃金では暮らしていけず、労働時間を授業時間の四倍にみなすべきです」と語るのは、首都圏大学非常勤講師組合の志田昇書記長。教員は一回の授業の準備で三時間程度の時間を費やしているほか、試験の採点時間なども必要だが、労働時間として考慮されていないためだ。◇同組合や関西圏大学非常勤講師組合などが実施した二〇〇七年の調査では、事例の男性のような専業の非常勤講師五百七十二人の年収の平均は三百六万円。平均で週九コマ担当している。研究と教育のバランスが取れる適正な数は週五コマとされ、生活のために授業を詰め込んでいる現状が浮かび上がる。この調査で、専任教員との待遇差も歴然と出ている。常勤の職を得ていて、アルバイトで非常勤講師を担う人の場合、年収の平均は八百七十二万円で、倍以上を稼ぐ。「一コマ月五万円を」という組合の要求で報酬を上げた大学もある。しかし、深刻なのは、雇われている人が入る被用者保険に入れないことだ。特に厚生年金の場合、現在は一つの職場で週に三十時間程度以上働くことが適用の条件となっているため、複数の大学から報酬を得ている非常勤講師の働き方では、まず加入できない。志田書記長は「少額の報酬でも事業所に厚生年金の保険料を負担させ、複数の事業所の保険料を合算する仕組みが必要だ」と制度改正を求めている。
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