2012年3月17日土曜日

1982年、500円玉と新幹線(1)

2009年に今の職場に入って、最初に初年次演習の授業でやったプログラムが、「自分史年表」をつくる、というものだった。彼らが生まれた1990年から現在までのさまざまな社会の出来事や、自分にとって重要だった出来事を、新聞や資料で調べながらまとめるという課題だった。

私はこれがすごく面白いと思って、さっそく学生にやらせるまえに、自分で自分史を年表にしてみた。1976年生まれの私にとって、記憶がはっきりしてくるのは、1982年ごろからだ。子供時代のいちばん大きな思い出は、85年のつくば万博に行ったことだった。(83年にはTDLが開園しているが、我が家では家族旅行で遊園地に行くことはなかったので、実際に行ったのは中学3年の秋だった)10代までの私にとっては、85年以前は幼少期、以後は現代史みたいな扱いだった。
落下傘花火を拾ってきた私。
何歳だったのか分からない。

それから自我の芽生えというか、自分の現在につながる関心が芽生えたのが、89年のベルリンの壁崩壊だった。中学校に入った年だったし、担任の社会の先生にニュースの意味を聞いたり、新聞の切り抜きを集めたりしたものだった。

ところが、実際に教室で学生に自分史年表を作らせると、驚くほど反応がなかった。自分自身の歴史を振り返ることはできても、それを社会的な出来事に関係付けるという視点が、殆どの学生に見られなかったのだ。いじめられた学校生活を思い出すのが嫌、という子もすごく多かった。彼らの反応のなさを、彼らの世間への関心のなさや知的レベルの低さに結びつける気はない。自分の過去と社会の出来事を結びつけて考えるようになるのは、もしかしたら彼らがもっと大人になってからできるようになるかもしれない。その時は、そう思うことにした。


さて、私にとって最も古い、社会的な出来事の記憶とは、82年に東北新幹線が開業したことと、500円硬貨が発行されたことだった。隣町の小山駅がおおきく改装され、新幹線のホームができ、祖父母が暮らす宮城県まで、新幹線で一気に行けるようになったのだ。おそらく開通から間もない時期に、父に連れられて仙台まで行ったはずだ。車酔いがひどくて遠出するのが嫌いだった私にとって、新幹線は救いだった。

新幹線の歴史やそれがもたらした社会的な変化については現在でも容易に調べることができるが、いっぽうの500円硬貨については、それが当時どのような事情で作られたのか、そしてどのように受容されたのかということはなかなかよくわからなくなっている。そこで当時バイトしていた総合人間学部図書館の資料を使って、このことを調べてみた。(2)につづく。


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