2012年3月16日金曜日

私たちはどうやって水を飲んでいたのか

かつてmixiに書いた(2010,7,3)文章がけっこう面白いので、こっちに載せておこうと思う。

夕方大学の図書館で、偶然手にとった『民博通信』の 特集がとてもおもしろかったので、その後家に帰ってからしばらく 考えてみた。 
『民博通信』の特集はペットボトル。この10年余りで世の中に一気に 広がったのが、携帯電話とペットボトルだ。携帯についてはこれまでにも なんどか考える機会があったけど、思えばペットボトルもちょうど私が 大学に入る頃から、大学院で京都に移るころに爆発的に普及していたのだ。 

ペットボトル飲料が爆発的に市場に出回るようになったのは90年代の後半。 ちょうど渋谷の町外れのコンビニでバイトしていた頃だ。飲み物の棚に 毎シーズンごとにペットボトルが増え、店のバックルームから在庫が あふれるようになった(ボトルのほうが場所とるから)のを覚えている。 


伏見、御香宮神社。名水をペットボトルに汲む人
ローソンのバックルームはとても狭くて、夜勤の時はイスに座って壁に もたれかかるくらいしか休むすべがなかった。店でもベテランの兄さんは、 狭い狭いバックルーム(というより冷蔵庫裏の通路)に、広げたダンボール を敷いて、むりやりに横になっていた。 

いまでこそ、学生たちも私たち大人もかばんのなかにペットボトルを持ち歩くようになったけど、90年代の当時は、あんな重たくてかさばるもの、持ち歩きたくないな、と思っていた。 当時は毎日独和辞典をもって大学に行ってたわけだし。月曜日は英語の授業もあったので、ジーニアスとマイスター独和とを、紙袋に入れてリュックとは別に持ち歩いていた。 

夕方からなんども自分の記憶を掘り起こしているんだけど、当時はペットボトルの飲料ではなく、何を飲んでいたんだろう?お昼には、いつも頭が良くなるように頭脳パンを食べていた。(ココア味が気に入っていた)そしてたぶん缶コーヒーとか飲んでいたはずだ。 

しかし缶コーヒーだけでは、喉が乾く。とくにあのころは煙草を吸ってたし。当時の和泉校舎1号館には、ほうぼうに喫煙スペースがあったし、喫煙スペースじゃなくても学生たちは煙草を吸っていた。ベンチと灰皿と、ゴミ箱があるスペース。授業のあいまの休み時間には、友人たちとそこにたまっておしゃべりをしたりタバコを吸ったりしていた。体育会サッカー部のクラスメートが、誰かの飲み干した空き缶を、10メートルくらい離れたゴミ箱に向けて、信じられない精度で蹴り込む芸を見せてくれたのも、たしかこの場所である。 

そしてタバコを吸ったあとには、そばにあった冷水機から水を飲んでいたはずだ。確かな記憶ではないが、休憩スペースとトイレの近くに冷水機が設置されていたはずだ。 

和泉校舎に設置されていたか断言するのは難しいけど、すくなくとも高校にはあった。旧校舎と東校舎をつなぐ通路にあったはずだ。2階の二年生の校舎から、旧館にある三年生の校舎のあいだにあったと思う。一階の渡り廊下にあった自販機にはいちご牛乳とか、いまや全国レベルで人気のレモン牛乳が売ってたりしたが、飲み物は部活後に買うだけにとどめて、学校内では冷水機の水を飲んでいた。 

大学4年のころバイトしてた西新宿の会社には、冷水機があったのだろうか。一階に大きな喫煙スペースがあって、そこできれいなOLさんと話したり、隣の部署の部長さんにビジネスのお話を聞くのが楽しかった。 

その後京都に来てから、冷水機を見ていない。京大では附属図書館にいまでもあるけど、精華にはない。たぶん学内どこにも置いてないはずだ。(芸術系の校舎はほとんど中に入ったことがないのでわからないが) 

京大の附属図書館じたい、いつ行っても(冬でも)暑くて好きじゃないんだけど、当然のことながら冷水機で水を飲んだことはない。たぶんいまとなっては、冷水機の水って危なそうで飲みたいと思えないのだ。 

いま私たちが安心して飲めるのは、冷水機の水や学食にあるフリーのお茶よりも、自分でかばんからとりだしたペットボトルの飲料だ。たとえ重くても、かさばっても、自分で持ち歩いたほうがいいと私たちは思うようになっている。 

さらにもうひとつ気づいたことなんだけど、最近の学生たちは、ペットボトルじゃなく、紙パックの飲み物もよく持ち歩いている。リプトンの500mlのミルクティーとかアップルティーとかだ。 

もちろん自分だって、浪人時代には、腹の足しになるから、といつもお昼に500mlの牛乳を買って、全部飲んでから午後の授業に出ていた。でもいまの学生たちはちょっとちがう。ペットボトルと同じように、パックのミルクティーも持ち歩くのだ。こぼしそうで不安じゃないかと思うのだけど、彼女たちはいつも傍らに、口をとじた紙パックを置いている。 

ペットボトルが普及したこの10年、私たちの水分の摂り方は大きく変わったし、持ち物の重さについての感覚も少し変わった。そして口が開いている紙パックという不安なものを持ち歩くことにためらいがなくなった。これも身体感覚の変容のひとつなんじゃないか。 

『民博通信』にはラッパ飲みという語が使用されなくなって直飲みというようになった、という論考が載せられており、こちらもとても面白かった。私としては、飲み方だけでなく、水分の摂り方や持ち歩き方も変わってきたんじゃないかということをさらに付け足したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿