振替輸送のルート。彦根から近江鉄道に乗り、
八日市を経由して貴生川まで行き草津線で草津へ
出るというルート。ものすごい遠回り。
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滋賀県立大は、非常勤で出講している4つの大学の中でもいちばん気に入っている学校だ。学生たちは素直でよく勉強するし、校舎はたいしたことないけど、琵琶湖をはじめ、周辺環境がいい。通勤に2時間ほどかかるが、そのうち1時間半くらいは田園地帯を、人の乗ってない電車でのんびり走るだけなので、帰省したような気分になる。そして帰り道には、彦根や近江鉄道や滋賀の小さな町に寄り道することもできる。いいことづくめだ。
しかし県立大で教えるようになって、最初に危惧したのは、ここまで来る交通手段が一つしかない、という点だった。昨年の新学期が始まったころ、一人の学生が、琵琶湖線の電車の遅延で授業に間に合わなかったと言って、大分遅れてやってきた。私自身は、早めに出勤してお弁当を食べてから3時間目の授業に行くので、遅れに巻き込まれることはなかった。しかし、京都方面から南彦根に来るには、JR琵琶湖線以外の手段はない。だから、この路線がなんらかの理由でストップしてしまえば、学生たちの大半が、そして私も授業に来れなくなってしまう。考えてみても、他に代替の交通手段が思いつかないのだ。
これはよく考えればちょっと危険だ。京都や大阪であれば、路線バスや私鉄等、必ず別の交通機関がある。5月の連休中に龍谷大で授業があったときは、いつも乗ってるJR奈良線の電車が休日ダイヤのため走っておらず、京都駅から急遽地下鉄に乗り換えて別の駅から大学に行ったことがあった。こういうことは龍大に限らず、他の大学の場合でもよくあることだろう。しかし、滋賀県立大の場合はこうはいかない。電車が途中で止まったら、そして復旧の見込みがたたなかったら、それでもうおしまいということにもなりかねない。というより、ほぼそうなってしまうだろう。
というようなことを、教えはじめた当初に心配していたのだが、いつしか通勤に慣れ、自分が大学までいけなくなるとか、逆に帰れなくなるなんてことは考えもしなくなっていた。しかし、事故や災害は忘れた頃にやってくる。
先週の水曜日は台風のような大雨だった。授業を終え、ふだんよりずっと混んでいるバスに乗り込み南彦根駅に着き、17時7分発の普通電車で京都駅へと出発した。彦根からの帰りの電車は、学生たちが乗っているとはいえ、ずいぶん空いている。私は電車に乗るとだいたいいつもすぐに眠ってしまう。15分後、電車は能登川駅に到着した。
ちょっと目を覚まして、あ、能登川か、と思ってまた眠りについたが、電車が動いている感じがしないので、すぐに目が覚めた。耳栓代わりに差していたイヤホンを抜いて、放送に耳を傾けると、事故のため電車を止めているという。これからどうするんだ?と思っているうちに、すぐ電車が動き始めた。さらに5分後、安土駅に着いた。そして再び電車は止まったままになる。今度はどうしたんだ?とまたイヤホンを抜くと、野洲で架線トラブルが起こったため、安土から草津の間は運転を取りやめることになったという。そしてこの電車も、これ以上先には進まず、電車は米原方面に戻るというアナウンスだった。乗客たちが、何もない安土駅で降ろされる。
他の乗客たちは、家の人に迎えを頼んだり、タクシーで電車が動いている草津まで行く相談をしている。京都まではまだまだ遠い。タクシーで草津までといっても、かなり距離がある。ネットで調べたところ、復旧は20時以降になるという。まだ2時間半もある。晴れていればいいものの、雨が激しく降る中、何もない安土駅にとどまるのは、考えられなかった。信長さんの銅像を近くで見てみたかったが、織田信長像だけでは、2時間半も間が持たない。そこで私は、乗ってきた電車に乗り込み、ふたたび彦根まで引き返すことにした。ここで4時間目の授業に出ていた環境学部の男子学生たちと会った。彼らも京都・大阪方面に帰るらしい。彼らはJRが案内しているように、近江鉄道で貴生川まで行って、そこから草津線で草津駅に行き、JR琵琶湖線で帰るという。とりあえず、私も同行することにした。
18時頃:南彦根駅に到着。結局一時間かけて安土までいって帰ってきたことになる。
18時10分頃:彦根駅で下車。JRの指示に従い、近江鉄道に乗り換える。一ヶ月前、ひとりで乗りに来たときは、天気が良くて乗客も少なく楽しかったが、今回は雨が降っている上に、同じように振替輸送で帰る人たちがたくさん乗っていて、まったく旅情を味わう気になれなかった。いっぽう、同行している環境学部の学生たちは、来週の小テストのために、ドイツ語の勉強を始めた。彼らの質問に答えたりしているうちに、電車は少しずつ滋賀の奥地へと進んでいった。
19時ごろ:八日市駅に到着。前回はここで近江八幡行きの路線に乗り換えたが、今回はさらに南の貴生川行きに乗り換える。乗り換えた列車は、通勤通学の滋賀県民たちもたくさん乗っていて、座ることができなかった。
19時30分頃:貴生川行きの近江鉄道にのった、私と学生3人は、立ったまま、天井に張り巡らされていく蜘蛛の巣を見守っていた。近江鉄道の車両は古びていて薄汚く、天井には蜘蛛がせっせと巣を作っていた。車窓から見える滋賀の田舎はまっくらで、手持ち無沙汰な我々は、蜘蛛の巣づくりを観察し、獲物がかかるのを待ち構えていた。
19:45分頃:貴生川駅が近づくにつれ、車両の繋ぎ目から発せられる音が大きくなってきた。線路が悪いのか、車両が悪いのかわからないが、定期的に連結部分ががくんがくんと大きく揺れた。連結器が外れてしまったら、と少し心配になった。復旧予定時刻の8時が近づいていたので、ツイッター等で状況を調べてみると、草津駅のほうも大変なことになっていたことがわかった。
20時頃:貴生川駅に到着。貴生川というところに来たのは初めてだったが、あの信楽高原鉄道に乗り換える駅だった。ここは滋賀の南のほう、なんというか滋賀の奥地なのだ、ということがわかった。私は代替輸送でしかたなくこんな遠いところに来てしまったわけだが、ふだんからこんな何もない田舎駅から電車に乗って大学に来ている学生がいるんだ、と思うとなんだか切なくなった。彼らのためにも、少しでも良い授業をしなければ、と決意を新たにした。
20時半頃:草津線で草津駅に到着。すでに琵琶湖線は復旧していた。復旧直後というわけではなかったが、すごく込んだ電車に乗り込み、京都へ向かった。大阪で仕事の時は、通勤ラッシュ時に新快速に乗るが、それでもこんなには混まないなあ、と不自由な姿勢で、疲れてもうろうとしながら思った。
21時15分頃:彦根を発って4時間あまり、ようやく自宅最寄り駅まで来れた。ふだんなら乗り換え待ちを含めても2時間以内につくのに、まさかこんな長旅をすることになるとは思いもよらなかった。今思うと、これって一種の帰宅難民みたいなものだったのかもしれない。しかしそれでも退屈もせず、楽しく電車の旅ができたのも、同行してくれた学生たちのおかげだ。彼らと蜘蛛の巣を観察したことはきっと忘れないだろう。
ちょっと目を覚まして、あ、能登川か、と思ってまた眠りについたが、電車が動いている感じがしないので、すぐに目が覚めた。耳栓代わりに差していたイヤホンを抜いて、放送に耳を傾けると、事故のため電車を止めているという。これからどうするんだ?と思っているうちに、すぐ電車が動き始めた。さらに5分後、安土駅に着いた。そして再び電車は止まったままになる。今度はどうしたんだ?とまたイヤホンを抜くと、野洲で架線トラブルが起こったため、安土から草津の間は運転を取りやめることになったという。そしてこの電車も、これ以上先には進まず、電車は米原方面に戻るというアナウンスだった。乗客たちが、何もない安土駅で降ろされる。
他の乗客たちは、家の人に迎えを頼んだり、タクシーで電車が動いている草津まで行く相談をしている。京都まではまだまだ遠い。タクシーで草津までといっても、かなり距離がある。ネットで調べたところ、復旧は20時以降になるという。まだ2時間半もある。晴れていればいいものの、雨が激しく降る中、何もない安土駅にとどまるのは、考えられなかった。信長さんの銅像を近くで見てみたかったが、織田信長像だけでは、2時間半も間が持たない。そこで私は、乗ってきた電車に乗り込み、ふたたび彦根まで引き返すことにした。ここで4時間目の授業に出ていた環境学部の男子学生たちと会った。彼らも京都・大阪方面に帰るらしい。彼らはJRが案内しているように、近江鉄道で貴生川まで行って、そこから草津線で草津駅に行き、JR琵琶湖線で帰るという。とりあえず、私も同行することにした。
18時頃:南彦根駅に到着。結局一時間かけて安土までいって帰ってきたことになる。
18時10分頃:彦根駅で下車。JRの指示に従い、近江鉄道に乗り換える。一ヶ月前、ひとりで乗りに来たときは、天気が良くて乗客も少なく楽しかったが、今回は雨が降っている上に、同じように振替輸送で帰る人たちがたくさん乗っていて、まったく旅情を味わう気になれなかった。いっぽう、同行している環境学部の学生たちは、来週の小テストのために、ドイツ語の勉強を始めた。彼らの質問に答えたりしているうちに、電車は少しずつ滋賀の奥地へと進んでいった。
19時ごろ:八日市駅に到着。前回はここで近江八幡行きの路線に乗り換えたが、今回はさらに南の貴生川行きに乗り換える。乗り換えた列車は、通勤通学の滋賀県民たちもたくさん乗っていて、座ることができなかった。
19時30分頃:貴生川行きの近江鉄道にのった、私と学生3人は、立ったまま、天井に張り巡らされていく蜘蛛の巣を見守っていた。近江鉄道の車両は古びていて薄汚く、天井には蜘蛛がせっせと巣を作っていた。車窓から見える滋賀の田舎はまっくらで、手持ち無沙汰な我々は、蜘蛛の巣づくりを観察し、獲物がかかるのを待ち構えていた。
19:45分頃:貴生川駅が近づくにつれ、車両の繋ぎ目から発せられる音が大きくなってきた。線路が悪いのか、車両が悪いのかわからないが、定期的に連結部分ががくんがくんと大きく揺れた。連結器が外れてしまったら、と少し心配になった。復旧予定時刻の8時が近づいていたので、ツイッター等で状況を調べてみると、草津駅のほうも大変なことになっていたことがわかった。
20時頃:貴生川駅に到着。貴生川というところに来たのは初めてだったが、あの信楽高原鉄道に乗り換える駅だった。ここは滋賀の南のほう、なんというか滋賀の奥地なのだ、ということがわかった。私は代替輸送でしかたなくこんな遠いところに来てしまったわけだが、ふだんからこんな何もない田舎駅から電車に乗って大学に来ている学生がいるんだ、と思うとなんだか切なくなった。彼らのためにも、少しでも良い授業をしなければ、と決意を新たにした。
20時半頃:草津線で草津駅に到着。すでに琵琶湖線は復旧していた。復旧直後というわけではなかったが、すごく込んだ電車に乗り込み、京都へ向かった。大阪で仕事の時は、通勤ラッシュ時に新快速に乗るが、それでもこんなには混まないなあ、と不自由な姿勢で、疲れてもうろうとしながら思った。
21時15分頃:彦根を発って4時間あまり、ようやく自宅最寄り駅まで来れた。ふだんなら乗り換え待ちを含めても2時間以内につくのに、まさかこんな長旅をすることになるとは思いもよらなかった。今思うと、これって一種の帰宅難民みたいなものだったのかもしれない。しかしそれでも退屈もせず、楽しく電車の旅ができたのも、同行してくれた学生たちのおかげだ。彼らと蜘蛛の巣を観察したことはきっと忘れないだろう。
楽しげな近江鉄道の路線案内。琵琶湖沿いを走るJR琵琶湖線と異なり、内陸のほう、山のほうへと行くのが 近江鉄道。この路線図を見ても、貴生川がもうだいぶ山のほうだということが分かる。 |