2013年6月30日日曜日

彦根から京都まで4時間かけて帰った日

先週の授業後、帰宅途中にJR線が止まり、自宅まで帰るのに4時間もかかった。貴重な体験だったので、経過をまとめておきたい。
振替輸送のルート。彦根から近江鉄道に乗り、
八日市を経由して貴生川まで行き草津線で草津へ
出るというルート。ものすごい遠回り。


滋賀県立大は、非常勤で出講している4つの大学の中でもいちばん気に入っている学校だ。学生たちは素直でよく勉強するし、校舎はたいしたことないけど、琵琶湖をはじめ、周辺環境がいい。通勤に2時間ほどかかるが、そのうち1時間半くらいは田園地帯を、人の乗ってない電車でのんびり走るだけなので、帰省したような気分になる。そして帰り道には、彦根や近江鉄道や滋賀の小さな町に寄り道することもできる。いいことづくめだ。

しかし県立大で教えるようになって、最初に危惧したのは、ここまで来る交通手段が一つしかない、という点だった。昨年の新学期が始まったころ、一人の学生が、琵琶湖線の電車の遅延で授業に間に合わなかったと言って、大分遅れてやってきた。私自身は、早めに出勤してお弁当を食べてから3時間目の授業に行くので、遅れに巻き込まれることはなかった。しかし、京都方面から南彦根に来るには、JR琵琶湖線以外の手段はない。だから、この路線がなんらかの理由でストップしてしまえば、学生たちの大半が、そして私も授業に来れなくなってしまう。考えてみても、他に代替の交通手段が思いつかないのだ。

これはよく考えればちょっと危険だ。京都や大阪であれば、路線バスや私鉄等、必ず別の交通機関がある。5月の連休中に龍谷大で授業があったときは、いつも乗ってるJR奈良線の電車が休日ダイヤのため走っておらず、京都駅から急遽地下鉄に乗り換えて別の駅から大学に行ったことがあった。こういうことは龍大に限らず、他の大学の場合でもよくあることだろう。しかし、滋賀県立大の場合はこうはいかない。電車が途中で止まったら、そして復旧の見込みがたたなかったら、それでもうおしまいということにもなりかねない。というより、ほぼそうなってしまうだろう。

というようなことを、教えはじめた当初に心配していたのだが、いつしか通勤に慣れ、自分が大学までいけなくなるとか、逆に帰れなくなるなんてことは考えもしなくなっていた。しかし、事故や災害は忘れた頃にやってくる。

先週の水曜日は台風のような大雨だった。授業を終え、ふだんよりずっと混んでいるバスに乗り込み南彦根駅に着き、17時7分発の普通電車で京都駅へと出発した。彦根からの帰りの電車は、学生たちが乗っているとはいえ、ずいぶん空いている。私は電車に乗るとだいたいいつもすぐに眠ってしまう。15分後、電車は能登川駅に到着した。

ちょっと目を覚まして、あ、能登川か、と思ってまた眠りについたが、電車が動いている感じがしないので、すぐに目が覚めた。耳栓代わりに差していたイヤホンを抜いて、放送に耳を傾けると、事故のため電車を止めているという。これからどうするんだ?と思っているうちに、すぐ電車が動き始めた。さらに5分後、安土駅に着いた。そして再び電車は止まったままになる。今度はどうしたんだ?とまたイヤホンを抜くと、野洲で架線トラブルが起こったため、安土から草津の間は運転を取りやめることになったという。そしてこの電車も、これ以上先には進まず、電車は米原方面に戻るというアナウンスだった。乗客たちが、何もない安土駅で降ろされる。

他の乗客たちは、家の人に迎えを頼んだり、タクシーで電車が動いている草津まで行く相談をしている。京都まではまだまだ遠い。タクシーで草津までといっても、かなり距離がある。ネットで調べたところ、復旧は20時以降になるという。まだ2時間半もある。晴れていればいいものの、雨が激しく降る中、何もない安土駅にとどまるのは、考えられなかった。信長さんの銅像を近くで見てみたかったが、織田信長像だけでは、2時間半も間が持たない。そこで私は、乗ってきた電車に乗り込み、ふたたび彦根まで引き返すことにした。ここで4時間目の授業に出ていた環境学部の男子学生たちと会った。彼らも京都・大阪方面に帰るらしい。彼らはJRが案内しているように、近江鉄道で貴生川まで行って、そこから草津線で草津駅に行き、JR琵琶湖線で帰るという。とりあえず、私も同行することにした。

18時頃:南彦根駅に到着。結局一時間かけて安土までいって帰ってきたことになる。

18時10分頃:彦根駅で下車。JRの指示に従い、近江鉄道に乗り換える。一ヶ月前、ひとりで乗りに来たときは、天気が良くて乗客も少なく楽しかったが、今回は雨が降っている上に、同じように振替輸送で帰る人たちがたくさん乗っていて、まったく旅情を味わう気になれなかった。いっぽう、同行している環境学部の学生たちは、来週の小テストのために、ドイツ語の勉強を始めた。彼らの質問に答えたりしているうちに、電車は少しずつ滋賀の奥地へと進んでいった。

19時ごろ:八日市駅に到着。前回はここで近江八幡行きの路線に乗り換えたが、今回はさらに南の貴生川行きに乗り換える。乗り換えた列車は、通勤通学の滋賀県民たちもたくさん乗っていて、座ることができなかった。

19時30分頃:貴生川行きの近江鉄道にのった、私と学生3人は、立ったまま、天井に張り巡らされていく蜘蛛の巣を見守っていた。近江鉄道の車両は古びていて薄汚く、天井には蜘蛛がせっせと巣を作っていた。車窓から見える滋賀の田舎はまっくらで、手持ち無沙汰な我々は、蜘蛛の巣づくりを観察し、獲物がかかるのを待ち構えていた。

19:45分頃:貴生川駅が近づくにつれ、車両の繋ぎ目から発せられる音が大きくなってきた。線路が悪いのか、車両が悪いのかわからないが、定期的に連結部分ががくんがくんと大きく揺れた。連結器が外れてしまったら、と少し心配になった。復旧予定時刻の8時が近づいていたので、ツイッター等で状況を調べてみると、草津駅のほうも大変なことになっていたことがわかった。

20時頃:貴生川駅に到着。貴生川というところに来たのは初めてだったが、あの信楽高原鉄道に乗り換える駅だった。ここは滋賀の南のほう、なんというか滋賀の奥地なのだ、ということがわかった。私は代替輸送でしかたなくこんな遠いところに来てしまったわけだが、ふだんからこんな何もない田舎駅から電車に乗って大学に来ている学生がいるんだ、と思うとなんだか切なくなった。彼らのためにも、少しでも良い授業をしなければ、と決意を新たにした。

20時半頃:草津線で草津駅に到着。すでに琵琶湖線は復旧していた。復旧直後というわけではなかったが、すごく込んだ電車に乗り込み、京都へ向かった。大阪で仕事の時は、通勤ラッシュ時に新快速に乗るが、それでもこんなには混まないなあ、と不自由な姿勢で、疲れてもうろうとしながら思った。

21時15分頃:彦根を発って4時間あまり、ようやく自宅最寄り駅まで来れた。ふだんなら乗り換え待ちを含めても2時間以内につくのに、まさかこんな長旅をすることになるとは思いもよらなかった。今思うと、これって一種の帰宅難民みたいなものだったのかもしれない。しかしそれでも退屈もせず、楽しく電車の旅ができたのも、同行してくれた学生たちのおかげだ。彼らと蜘蛛の巣を観察したことはきっと忘れないだろう。
楽しげな近江鉄道の路線案内。琵琶湖沿いを走るJR琵琶湖線と異なり、内陸のほう、山のほうへと行くのが
近江鉄道。この路線図を見ても、貴生川がもうだいぶ山のほうだということが分かる。


彦根から京都まで4時間かけて帰った日

先週の授業後、帰宅途中にJR線が止まり、自宅まで帰るのに4時間もかかった。貴重な体験だったので、経過をまとめておきたい。
振替輸送のルート。彦根から近江鉄道に乗り、
八日市を経由して貴生川まで行き草津線で草津へ
出るというルート。ものすごい遠回り。


滋賀県立大は、非常勤で出講している4つの大学の中でもいちばん気に入っている学校だ。学生たちは素直でよく勉強するし、校舎はたいしたことないけど、琵琶湖をはじめ、周辺環境がいい。通勤に2時間ほどかかるが、そのうち1時間半くらいは田園地帯を、人の乗ってない電車でのんびり走るだけなので、帰省したような気分になる。そして帰り道には、彦根や近江鉄道や滋賀の小さな町に寄り道することもできる。いいことづくめだ。

しかし県立大で教えるようになって、最初に危惧したのは、ここまで来る交通手段が一つしかない、という点だった。昨年の新学期が始まったころ、一人の学生が、琵琶湖線の電車の遅延で授業に間に合わなかったと言って、大分遅れてやってきた。私自身は、早めに出勤してお弁当を食べてから3時間目の授業に行くので、遅れに巻き込まれることはなかった。しかし、京都方面から南彦根に来るには、JR琵琶湖線以外の手段はない。だから、この路線がなんらかの理由でストップしてしまえば、学生たちの大半が、そして私も授業に来れなくなってしまう。考えてみても、他に代替の交通手段が思いつかないのだ。

これはよく考えればちょっと危険だ。京都や大阪であれば、路線バスや私鉄等、必ず別の交通機関がある。5月の連休中に龍谷大で授業があったときは、いつも乗ってるJR奈良線の電車が休日ダイヤのため走っておらず、京都駅から急遽地下鉄に乗り換えて別の駅から大学に行ったことがあった。こういうことは龍大に限らず、他の大学の場合でもよくあることだろう。しかし、滋賀県立大の場合はこうはいかない。電車が途中で止まったら、そして復旧の見込みがたたなかったら、それでもうおしまいということにもなりかねない。というより、ほぼそうなってしまうだろう。

というようなことを、教えはじめた当初に心配していたのだが、いつしか通勤に慣れ、自分が大学までいけなくなるとか、逆に帰れなくなるなんてことは考えもしなくなっていた。しかし、事故や災害は忘れた頃にやってくる。

先週の水曜日は台風のような大雨だった。授業を終え、ふだんよりずっと混んでいるバスに乗り込み南彦根駅に着き、17時7分発の普通電車で京都駅へと出発した。彦根からの帰りの電車は、学生たちが乗っているとはいえ、ずいぶん空いている。私は電車に乗るとだいたいいつもすぐに眠ってしまう。15分後、電車は能登川駅に到着した。

ちょっと目を覚まして、あ、能登川か、と思ってまた眠りについたが、電車が動いている感じがしないので、すぐに目が覚めた。耳栓代わりに差していたイヤホンを抜いて、放送に耳を傾けると、事故のため電車を止めているという。これからどうするんだ?と思っているうちに、すぐ電車が動き始めた。さらに5分後、安土駅に着いた。そして再び電車は止まったままになる。今度はどうしたんだ?とまたイヤホンを抜くと、野洲で架線トラブルが起こったため、安土から草津の間は運転を取りやめることになったという。そしてこの電車も、これ以上先には進まず、電車は米原方面に戻るというアナウンスだった。乗客たちが、何もない安土駅で降ろされる。

他の乗客たちは、家の人に迎えを頼んだり、タクシーで電車が動いている草津まで行く相談をしている。京都まではまだまだ遠い。タクシーで草津までといっても、かなり距離がある。ネットで調べたところ、復旧は20時以降になるという。まだ2時間半もある。晴れていればいいものの、雨が激しく降る中、何もない安土駅にとどまるのは、考えられなかった。信長さんの銅像を近くで見てみたかったが、織田信長像だけでは、2時間半も間が持たない。そこで私は、乗ってきた電車に乗り込み、ふたたび彦根まで引き返すことにした。ここで4時間目の授業に出ていた環境学部の男子学生たちと会った。彼らも京都・大阪方面に帰るらしい。彼らはJRが案内しているように、近江鉄道で貴生川まで行って、そこから草津線で草津駅に行き、JR琵琶湖線で帰るという。とりあえず、私も同行することにした。

18時頃:南彦根駅に到着。結局一時間かけて安土までいって帰ってきたことになる。

18時10分頃:彦根駅で下車。JRの指示に従い、近江鉄道に乗り換える。一ヶ月前、ひとりで乗りに来たときは、天気が良くて乗客も少なく楽しかったが、今回は雨が降っている上に、同じように振替輸送で帰る人たちがたくさん乗っていて、まったく旅情を味わう気になれなかった。いっぽう、同行している環境学部の学生たちは、来週の小テストのために、ドイツ語の勉強を始めた。彼らの質問に答えたりしているうちに、電車は少しずつ滋賀の奥地へと進んでいった。

19時ごろ:八日市駅に到着。前回はここで近江八幡行きの路線に乗り換えたが、今回はさらに南の貴生川行きに乗り換える。乗り換えた列車は、通勤通学の滋賀県民たちもたくさん乗っていて、座ることができなかった。

19時30分頃:貴生川行きの近江鉄道にのった、私と学生3人は、立ったまま、天井に張り巡らされていく蜘蛛の巣を見守っていた。近江鉄道の車両は古びていて薄汚く、天井には蜘蛛がせっせと巣を作っていた。車窓から見える滋賀の田舎はまっくらで、手持ち無沙汰な我々は、蜘蛛の巣づくりを観察し、獲物がかかるのを待ち構えていた。

19:45分頃:貴生川駅が近づくにつれ、車両の繋ぎ目から発せられる音が大きくなってきた。線路が悪いのか、車両が悪いのかわからないが、定期的に連結部分ががくんがくんと大きく揺れた。連結器が外れてしまったら、と少し心配になった。復旧予定時刻の8時が近づいていたので、ツイッター等で状況を調べてみると、草津駅のほうも大変なことになっていたことがわかった。

20時頃:貴生川駅に到着。貴生川というところに来たのは初めてだったが、あの信楽高原鉄道に乗り換える駅だった。ここは滋賀の南のほう、なんというか滋賀の奥地なのだ、ということがわかった。私は代替輸送でしかたなくこんな遠いところに来てしまったわけだが、ふだんからこんな何もない田舎駅から電車に乗って大学に来ている学生がいるんだ、と思うとなんだか切なくなった。彼らのためにも、少しでも良い授業をしなければ、と決意を新たにした。

20時半頃:草津線で草津駅に到着。すでに琵琶湖線は復旧していた。復旧直後というわけではなかったが、すごく込んだ電車に乗り込み、京都へ向かった。大阪で仕事の時は、通勤ラッシュ時に新快速に乗るが、それでもこんなには混まないなあ、と不自由な姿勢で、疲れてもうろうとしながら思った。

21時15分頃:彦根を発って4時間あまり、ようやく自宅最寄り駅まで来れた。ふだんなら乗り換え待ちを含めても2時間以内につくのに、まさかこんな長旅をすることになるとは思いもよらなかった。今思うと、これって一種の帰宅難民みたいなものだったのかもしれない。しかしそれでも退屈もせず、楽しく電車の旅ができたのも、同行してくれた学生たちのおかげだ。彼らと蜘蛛の巣を観察したことはきっと忘れないだろう。
楽しげな近江鉄道の路線案内。琵琶湖沿いを走るJR琵琶湖線と異なり、内陸のほう、山のほうへと行くのが
近江鉄道。この路線図を見ても、貴生川がもうだいぶ山のほうだということが分かる。


2013年6月26日水曜日

おすすめの単語集

単語集ではないけど、基本語辞典はもってた
説明はわかりやすいがABC順なので暗記するには不便
よく学生からおすすめの単語集を教えてほしいという要望があるけど、それはどういうことなのか考えてみた。

どういうことなのか?というのは、多くのドイツ語教員たちは、たぶん単語集を使って勉強したりはしなかったのだろうから、何やら妙な感じがするのだ。何で単語集が必要なのか?と思ってしまう。

私自身の勉強法を振り返ると、単語はたぶん教科書に出てきて、わからなかったものをつぎつぎ覚えていったんだと思う。そしていまでも基本的には同じようなやり方を続けている。知らない単語を調べる、何回か出くわす単語を覚える。これの繰り返しでしかない。

学習者向けの単語集は、本屋やAmazonを見れば、何冊か売っている。ABC順だったりしてすごく使いにくいのが多いけど、独検用などは、受験英語のように頻度順や重要度順になっていたりして、多少は使いやすいのだろう。

でも、独検を受けないのであれば、独検用単語集を使う必要はあまりない。ということは、学生たちが求めている単語集は、こういうものではないということだ。

単語集を欲しがる学生というのは、おそらく、教科書に出てくる単語に優先順位をつけて欲しいのだと思う。私は、よく出てくる単語は自ずと覚えるし、覚えられない単語は辞書で引けばいいと思っているので、単語を覚えなさい、とはあまり言っていない。

でも、それではあまりに不親切なので、なるべく間違いやすい単語や覚えておくと便利な単語は、小テストなどでたびたび取り上げるようにしている。教員にできることなんて、そのくらいじゃないだろうか。

この単語が試験に出るよ、と試験に出る単語集をプリントにまとめて配った所で、それは私が作る試験に出る、ということでしかない。どの単語をどれだけ覚えるかは、結局のところ学習者それぞれの目的に応じて違うわけだから。

大学受験を終えたばかりの学生たちは、大学での学習も漠然と、優先順位と勉強するべきことの範囲が決まっていると思っているのかもしれない。それをお客様的なマインドと批判する教員も多い。たしかにそうなのだが、これまで受験のための勉強ばかりしてきたのだから、そういう発想になるのも当然だろうと思う。だから、大学での語学の勉強は、何かしらの目標や達成すべき水準が定まっているわけではなく、それぞれの目的・目標に向かって取り組んでほしい、と最初の授業で伝えるようにしている。

しかし、そういう私のようにふわふわしたことを言ってると、グローバル人材を養成しなければ、という昨今の流れにはついていけなくなってしまうので、ドイツ語教育の世界でも、こういうことを勉強して、ここまで使えるようになって、こういうふうにグローバル人材になれますよ、という到達目標を提示しなければならなくなってきた。

私自身が留学したこともなく、もっぱら本を読むためにドイツ語を勉強してきたせいか、このような、実用のためのドイツ語力養成を大学でやるべきなのか、ということについては懐疑的だ。私が教えている理系の学生たちは、別にドイツ語ができるようになりたくて勉強しているわけではない。でもみんなとても楽しそうに練習している。それはおそらく、実用とは別の面白さがあるからだ。大学で教育をしているからには、この点を大切にしたい。彼らが勉強しているドイツ語は、実用的ではないだろうし、彼らは来年になったらドイツ語を殆ど忘れてしまうだろう。しかし、単語を覚え、文法事項を整理するための努力は、決して無駄にならない。何語を勉強するときにも応用可能だし、別の知識を得る際にも役に立つ。

このように考えている私は、単語を覚えるなら、自分で工夫してやってみよう、と伝えたい。

2013年6月23日日曜日

地蔵ブログを作りました

趣味で始めた地蔵写真がずいぶん増えてきたので、今度は地蔵写真を中心にした、新たなブログを作りました。これまで撮った地蔵や地蔵撮影でのエピソード、それから新たに見つけたお地蔵さんなどをここで紹介していこうと思います。
画面いっぱいに広がる地蔵写真たち

地蔵ブログを作りました

趣味で始めた地蔵写真がずいぶん増えてきたので、今度は地蔵写真を中心にした、新たなブログを作りました。これまで撮った地蔵や地蔵撮影でのエピソード、それから新たに見つけたお地蔵さんなどをここで紹介していこうと思います。
画面いっぱいに広がる地蔵写真たち

ドイツでマラソン大会に出たこと


2013年の3月に、ドレスデンに一ヶ月滞在できることが決まって、まず思いついたのは、現地でマラソン大会に出よう、ということだった。
ちょうど冬ごろは、日本ではマラソン大会のシーズンだった。私は今年も2月の木津川マラソンにエントリーし、春には小豆島のハーフマラソンに出場するつもりだった(学会発表と重なり、欠場)。以前からドイツでは、どんなふうにマラソン大会がかいされているのか興味があったし、ちょうどシーズン中だし、ということで、ネット上で情報を集め、3月の一ヶ月間で出場できそうな大会を探すことにした。

いくつかのサイトを見ると、日本よりもはるかに開催される大会数が多いことがわかった。そして、さらに驚いたのは、出走の直前、大会当日の朝までエントリーできる大会も多いということだった。
3月に入り、現地で暮らし始めてから、コンディションを整えつつ、出場する大会を決めることにした。
エルベ河畔、ジョギングに最適

そしてここで再び日本との違いに気づく。日本では、マラソン大会はRunnetなどを通じて申し込み、振込、コンビニ決済、カード払いなどの方法で、参加料を支払うことになっている(まれに、オンラインで申し込みできない大会―例:東山三十六峰マウンテンマラソン―もあるが)。しかしドイツでは、カード決済はできず振込または口座引き落としでなければ、オンラインで申し込めないという。そして振込にしても口座引き落としにしても、ドイツに居住し、ドイツの銀行に口座を持っていなければ不可能である。日本のように、銀行口座とは関係なく現金で振り込むということは原則的に行われていない。そうなると、私のような外国人がエントリーするには、ちょくせつ受付会場で申し込み、参加料を払わなければならない。ドイツに来る前は、ベルリン郊外Marienwälderで行われる、baff Natur-Marathonというフルマラソンの大会に出ようと思っていたが、全く土地勘のない田舎町で、会場に時間通りについて、さらに受付をその場でしなければならない、というのはなんだか不安な気がしたため、予定を変更し、滞在先のドレスデン市内で行われる大会に出ることにした。
受付でもらえるサンプルや広告


ノンアルコールビールは、理想的なスポーツ飲料!!
ゼッケン
受付は大会前日に、主催者の一つであるカールシュタットですぐに済ませることができた。参加費を払うと、名前(下の名前)を聞かれた。え?と思いつつ、口頭だと通じにくいだろうと、Goethe Institutの受講証を見せると、すぐにゼッケンを発行してくれた。ゼッケンには番号と、名前が印刷されるのだ。受付が終わると、主催者が用意してくれたおみやげ袋のようなものが手渡される。これは日本の大会と同じだ。宿舎に帰り、中身を確認すると、スポンサー企業のちらしやサンプル、近く行われる他の大会の案内などが入っていた。これも日本と同じ。おもしろかったのは、スポンサーの一つに、ビール会社があり、その会社のノンアルコールビールのパンフが入っていたことだ。アスリートや芸能人のインタビューとともに、当社のノンアルコールビールが、いかにスポーツ飲料として優れているかがアピールされている。ドイツではノンアルコールビールはスポーツ飲料扱いなのだろう。

大会当日は、日本の大会と同じく、出走1時間前ごろに会場入りし、更衣室で着替えや手荷物を預けたりした。スタート地点には、ステージが設けられ、アナウンサーがいろいろ喋ったり音楽をかけたりして、なにやら賑やかな様子だった。
スタートおよびゴールのドレスデン
市庁舎前。ステージ前にひらひらして
いる模型飛行機の翼みたいなのは、
ドイツのノボリ。イベント会場やお店
でよく見る。
当日の気温はたぶん最高で0℃ほど。天気は良かったが、かなり寒い。私は日本のマラソン大会と同じように、長袖のシャツ、半袖のピステ、下は七分丈のウィンドブレーカーという格好。ガタガタ震えていたが、スタートが近づいて人が多くなると、ずいぶん暖かくなった。そして背が高いドイツ人に囲まれて全く周りが見えなくなった。日本の大会と同じく、一番多い年齢層は中高年。隣近所も自分の親くらいのおじさんおばさんばかりなのだが、みんな体が大きい。レースが始まってみて、おじさんおばさんたちがかなり速くて、また驚いた。体が大きい=脚が長いゆえのスピードなのかと思った。このレースは、ドレスデン旧市街の中心部に設けられた一周5kmのコースを2周する。3月はじめにやってきて、何度も見慣れた街の中を走るのは気持ちが良かった。ふだんはトラムにのって通過するメインストリートも、車道を走ると全然違って見える。一周5kmということは、自宅から渡月橋を経て松尾橋までだな、と自分のいつものコースに置き換えて考えていたが、路面が石畳だったため、予想よりもつかれた。ドイツに来てからのジョギングでも、あまり街中を走ることはなかったため、石畳のでこぼこに足を取られそうでこわかった。また、街中の大会のため、応援もにぎやかだった。先日の豪雨で冠水していたエルベ河畔の通りには、ドラム隊が来ていて、どんがらどんがら賑やかな演奏で応援してくれていた。
エルベ河畔の道路

デパートが両側に立つ中心街

川の近くは風が強くて寒かった

とはいえ、本気で走れば10kmなんてあっという間だ。しんどいな、と思い始めた頃には終わってしまう。だいたい50分ほどでゴールした。あとで完走証を受け取ると、タイムと順位が印刷されていた。出場者は1500人くらいなので、まあまあ健闘したといえるかも。それから名前の下にGoethe Insititutと書いてあるのは、受付の際に受講証を提示したからだろう。

ゴール後は、日本と同じように、飲み物がもらえる。大抵の場合はスポーツドリンクなのだが、この大会はスポンサーがビールの会社だから、ノンアルコールビールだった。運動直後には炭酸飲料は飲みにくいが、のどが渇いていたので、まあまあおいしかった。会場を見回すと、ドイツ人たちはノンアルコールビールを飲み干したあとに、近くに出ていた屋台で普通のビールも買って飲んでいた。走った後とはいえ、気温は0℃くらいなので、すぐに着替えた。完走証とともに、メダルももらえた。
スポンサーのKrombacherがノンアルコールビールを配っていた
もう少し滞在期間が長ければ、あるいはもっと満足に練習できる季節であれば(3月中は毎日のように雪が降り、思うように練習できなかった)、他の大会にも出てみたかった。次回はフルマラソンに出場したい。

ドイツでマラソン大会に出たこと


2013年の3月に、ドレスデンに一ヶ月滞在できることが決まって、まず思いついたのは、現地でマラソン大会に出よう、ということだった。
ちょうど冬ごろは、日本ではマラソン大会のシーズンだった。私は今年も2月の木津川マラソンにエントリーし、春には小豆島のハーフマラソンに出場するつもりだった(学会発表と重なり、欠場)。以前からドイツでは、どんなふうにマラソン大会がかいされているのか興味があったし、ちょうどシーズン中だし、ということで、ネット上で情報を集め、3月の一ヶ月間で出場できそうな大会を探すことにした。

いくつかのサイトを見ると、日本よりもはるかに開催される大会数が多いことがわかった。そして、さらに驚いたのは、出走の直前、大会当日の朝までエントリーできる大会も多いということだった。
3月に入り、現地で暮らし始めてから、コンディションを整えつつ、出場する大会を決めることにした。
エルベ河畔、ジョギングに最適

そしてここで再び日本との違いに気づく。日本では、マラソン大会はRunnetなどを通じて申し込み、振込、コンビニ決済、カード払いなどの方法で、参加料を支払うことになっている(まれに、オンラインで申し込みできない大会―例:東山三十六峰マウンテンマラソン―もあるが)。しかしドイツでは、カード決済はできず振込または口座引き落としでなければ、オンラインで申し込めないという。そして振込にしても口座引き落としにしても、ドイツに居住し、ドイツの銀行に口座を持っていなければ不可能である。日本のように、銀行口座とは関係なく現金で振り込むということは原則的に行われていない。そうなると、私のような外国人がエントリーするには、ちょくせつ受付会場で申し込み、参加料を払わなければならない。ドイツに来る前は、ベルリン郊外Marienwälderで行われる、baff Natur-Marathonというフルマラソンの大会に出ようと思っていたが、全く土地勘のない田舎町で、会場に時間通りについて、さらに受付をその場でしなければならない、というのはなんだか不安な気がしたため、予定を変更し、滞在先のドレスデン市内で行われる大会に出ることにした。
受付でもらえるサンプルや広告


ノンアルコールビールは、理想的なスポーツ飲料!!
ゼッケン
受付は大会前日に、主催者の一つであるカールシュタットですぐに済ませることができた。参加費を払うと、名前(下の名前)を聞かれた。え?と思いつつ、口頭だと通じにくいだろうと、Goethe Institutの受講証を見せると、すぐにゼッケンを発行してくれた。ゼッケンには番号と、名前が印刷されるのだ。受付が終わると、主催者が用意してくれたおみやげ袋のようなものが手渡される。これは日本の大会と同じだ。宿舎に帰り、中身を確認すると、スポンサー企業のちらしやサンプル、近く行われる他の大会の案内などが入っていた。これも日本と同じ。おもしろかったのは、スポンサーの一つに、ビール会社があり、その会社のノンアルコールビールのパンフが入っていたことだ。アスリートや芸能人のインタビューとともに、当社のノンアルコールビールが、いかにスポーツ飲料として優れているかがアピールされている。ドイツではノンアルコールビールはスポーツ飲料扱いなのだろう。

大会当日は、日本の大会と同じく、出走1時間前ごろに会場入りし、更衣室で着替えや手荷物を預けたりした。スタート地点には、ステージが設けられ、アナウンサーがいろいろ喋ったり音楽をかけたりして、なにやら賑やかな様子だった。
スタートおよびゴールのドレスデン
市庁舎前。ステージ前にひらひらして
いる模型飛行機の翼みたいなのは、
ドイツのノボリ。イベント会場やお店
でよく見る。
当日の気温はたぶん最高で0℃ほど。天気は良かったが、かなり寒い。私は日本のマラソン大会と同じように、長袖のシャツ、半袖のピステ、下は七分丈のウィンドブレーカーという格好。ガタガタ震えていたが、スタートが近づいて人が多くなると、ずいぶん暖かくなった。そして背が高いドイツ人に囲まれて全く周りが見えなくなった。日本の大会と同じく、一番多い年齢層は中高年。隣近所も自分の親くらいのおじさんおばさんばかりなのだが、みんな体が大きい。レースが始まってみて、おじさんおばさんたちがかなり速くて、また驚いた。体が大きい=脚が長いゆえのスピードなのかと思った。このレースは、ドレスデン旧市街の中心部に設けられた一周5kmのコースを2周する。3月はじめにやってきて、何度も見慣れた街の中を走るのは気持ちが良かった。ふだんはトラムにのって通過するメインストリートも、車道を走ると全然違って見える。一周5kmということは、自宅から渡月橋を経て松尾橋までだな、と自分のいつものコースに置き換えて考えていたが、路面が石畳だったため、予想よりもつかれた。ドイツに来てからのジョギングでも、あまり街中を走ることはなかったため、石畳のでこぼこに足を取られそうでこわかった。また、街中の大会のため、応援もにぎやかだった。先日の豪雨で冠水していたエルベ河畔の通りには、ドラム隊が来ていて、どんがらどんがら賑やかな演奏で応援してくれていた。
エルベ河畔の道路

デパートが両側に立つ中心街

川の近くは風が強くて寒かった

とはいえ、本気で走れば10kmなんてあっという間だ。しんどいな、と思い始めた頃には終わってしまう。だいたい50分ほどでゴールした。あとで完走証を受け取ると、タイムと順位が印刷されていた。出場者は1500人くらいなので、まあまあ健闘したといえるかも。それから名前の下にGoethe Insititutと書いてあるのは、受付の際に受講証を提示したからだろう。

ゴール後は、日本と同じように、飲み物がもらえる。大抵の場合はスポーツドリンクなのだが、この大会はスポンサーがビールの会社だから、ノンアルコールビールだった。運動直後には炭酸飲料は飲みにくいが、のどが渇いていたので、まあまあおいしかった。会場を見回すと、ドイツ人たちはノンアルコールビールを飲み干したあとに、近くに出ていた屋台で普通のビールも買って飲んでいた。走った後とはいえ、気温は0℃くらいなので、すぐに着替えた。完走証とともに、メダルももらえた。
スポンサーのKrombacherがノンアルコールビールを配っていた
もう少し滞在期間が長ければ、あるいはもっと満足に練習できる季節であれば(3月中は毎日のように雪が降り、思うように練習できなかった)、他の大会にも出てみたかった。次回はフルマラソンに出場したい。

2013年6月13日木曜日

パン作り熱中時代2


2008年の6月頃、パン作りに熱中していた。
粉を捏ねて食べ物ができる、ということが単純におもしろかったのだろう。当時私は、外でベーグルを食べたことがなかった。ネット上の情報でなんとなく、見た目や味は想像ができていたが、自分で作りながら、どんな味になれば正解なのか、わかっていなかったのだ。後日近所のパン屋でベーグルを買って食べ、思ったよりまずかったと落胆したのを覚えている。この、2回めの製作記録を見ていると、本当に美味しそうで、また作りたくなってきた。



以下、2008年6月10日の日記より

実は日曜の夕方に、もう一回パンを焼いていたのだ。 

日曜3時にエントリを記入してから、夕方5時ごろもう一回やってみようと 
思い立って、夕飯前にこねたり焼いたりの作業をやってたんだ。 
なんでもそうだが、手がおぼえるまで練習しないと 
上手にできるようにはならない。 

これまでにも、オムライスやしもつかれは 
自分が食べるのもいやになるくらい練習をつんできた。 
パンも同じ。とにかく目をつぶっててもできるくらいに 
ならなきゃ、美味しいものは作れない。 

前回の反省点を活かし、発酵の時間や温度にもこだわってみた。 
ふだんパスタを盛るのに使ってた皿に4個並べたのだが、 
途中で、大きく膨らますには、二個ずつに分けたほうがいいかもと思い 
もう一枚皿をだして乗せかえる。 
 

なるべくあたたかいほうが発酵が進むというのは前から知っていた。こねるさいの水も、ぬるま湯を使っていたし。それなら発酵中にも熱があったほうがよさそうだと思い、お湯につけてしぼったタオルを生地の上に載せておいた。 

 
50分くらい経って、タオルを取り除けるとこんな状態。 
前回以上にふっかふかに膨らんでいた。 
やっぱり発酵の段階がかなり重要みたい。 

 
前回写真にとらなかったけど、焼く前にこうやって両面を30秒ずつゆでている。こうすると発酵が止まるのかそれとも内側に熱が通るのか、なんのためにやってるのかはよくわからない。ちなみにこのお湯の中には砂糖やハチミツを溶かしいれるとパンにつやがでるそうだ。 
うちにはハチミツ無いので、砂糖水をわかした。 

 
 
できあがりはこのとおり。 
前回に比べてふっくらした様子なのは見ただけでもおわかりいただけるだろう。 それにしても焼くのが難しい。トースターなのであっという間に黒焦げになる。 焦がさないよう、パンの内側に熱を通すために、表面が焼けたらホイルに包んで蒸し焼きにしているのだが、これでいいのだろうか? 
ネットで調べた情報によれば、もっと小さめに作って こまめにトースター内での配置を動かしたりして満遍なく焼くのがいいとのこと。オーブンだったらそんなめんどうなことしなくてもいいのだろうか。 

前回作ったぶんは、冷凍状態からあたためなおすと皮が硬くて 全体的に失敗した蒸しケーキみたいな食感だったのだが、今回はあたためなおしてもじゅうぶん美味しかった。だけどおれが思う、ベーグルサンドに使うようなベーグルとはまだ違うんじゃないだろうか。
まだまだ納得がいく出来には遠い。 

明日あたりもう一回作ってみたい。

パン作り熱中時代2


2008年の6月頃、パン作りに熱中していた。
粉を捏ねて食べ物ができる、ということが単純におもしろかったのだろう。当時私は、外でベーグルを食べたことがなかった。ネット上の情報でなんとなく、見た目や味は想像ができていたが、自分で作りながら、どんな味になれば正解なのか、わかっていなかったのだ。後日近所のパン屋でベーグルを買って食べ、思ったよりまずかったと落胆したのを覚えている。この、2回めの製作記録を見ていると、本当に美味しそうで、また作りたくなってきた。



以下、2008年6月10日の日記より

実は日曜の夕方に、もう一回パンを焼いていたのだ。 

日曜3時にエントリを記入してから、夕方5時ごろもう一回やってみようと 
思い立って、夕飯前にこねたり焼いたりの作業をやってたんだ。 
なんでもそうだが、手がおぼえるまで練習しないと 
上手にできるようにはならない。 

これまでにも、オムライスやしもつかれは 
自分が食べるのもいやになるくらい練習をつんできた。 
パンも同じ。とにかく目をつぶっててもできるくらいに 
ならなきゃ、美味しいものは作れない。 

前回の反省点を活かし、発酵の時間や温度にもこだわってみた。 
ふだんパスタを盛るのに使ってた皿に4個並べたのだが、 
途中で、大きく膨らますには、二個ずつに分けたほうがいいかもと思い 
もう一枚皿をだして乗せかえる。 
 

なるべくあたたかいほうが発酵が進むというのは前から知っていた。こねるさいの水も、ぬるま湯を使っていたし。それなら発酵中にも熱があったほうがよさそうだと思い、お湯につけてしぼったタオルを生地の上に載せておいた。 

 
50分くらい経って、タオルを取り除けるとこんな状態。 
前回以上にふっかふかに膨らんでいた。 
やっぱり発酵の段階がかなり重要みたい。 

 
前回写真にとらなかったけど、焼く前にこうやって両面を30秒ずつゆでている。こうすると発酵が止まるのかそれとも内側に熱が通るのか、なんのためにやってるのかはよくわからない。ちなみにこのお湯の中には砂糖やハチミツを溶かしいれるとパンにつやがでるそうだ。 
うちにはハチミツ無いので、砂糖水をわかした。 

 
 
できあがりはこのとおり。 
前回に比べてふっくらした様子なのは見ただけでもおわかりいただけるだろう。 それにしても焼くのが難しい。トースターなのであっという間に黒焦げになる。 焦がさないよう、パンの内側に熱を通すために、表面が焼けたらホイルに包んで蒸し焼きにしているのだが、これでいいのだろうか? 
ネットで調べた情報によれば、もっと小さめに作って こまめにトースター内での配置を動かしたりして満遍なく焼くのがいいとのこと。オーブンだったらそんなめんどうなことしなくてもいいのだろうか。 

前回作ったぶんは、冷凍状態からあたためなおすと皮が硬くて 全体的に失敗した蒸しケーキみたいな食感だったのだが、今回はあたためなおしてもじゅうぶん美味しかった。だけどおれが思う、ベーグルサンドに使うようなベーグルとはまだ違うんじゃないだろうか。
まだまだ納得がいく出来には遠い。 

明日あたりもう一回作ってみたい。

パン作りに熱中していた

妻がパンを作った。本人は失敗したと、落ち込んでいたが、KFCのビスケットみたいにバターの風味が豊かでカリカリしていてなかなか美味しかった。いま自宅には、妻が買ってきた強力粉などが大量にある。せっかくだし、再びパンを作ってみようかな、と思い、かつて別の場所にまとめておいたパン作りの記録を見なおしてみた。これがけっこうおもしろいので、こちらに転載しておきたい。


以下、2008年6月8日の日記より

君のたーめにーパンを焼くー♪
と歌ったのはまさよしだが、
おれは自分が食べるために焼く。

実は先月半ばに一回ベーグル作りにチャレンジしていたのだが、
このときはあえなく失敗。その後なかなか時間が取れなくて
リベンジの機会がなかったのだけど、意を決してやってみた。

ちなみに作り方は、ニコ動から。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1055686
このうp主は料理が上手なだけでなく、手がとてもきれいで大人気。

何度も見直して作り方や注意すべき点を確認。
ふせんにメモをとって、さあ作業開始。 


とにかく材料の正確な分量と、時間配分に気をつけた。

はかりで粉類を計測。強力粉にライ麦を足す。

ここにぬるま湯で溶いたイーストを少しずつ加えて
ぐいぐいこね回す。

小麦粉は、こねあがるまでかなり粘つくので
途中経過の写真が撮れなかった。


手につかないくらい落ち着いてきたら
包丁で4等分して丸め、いったん生地を休ませる。

15分くらい放置した生地を、ふたたびこねてベーグル型に整形。


今度は40~50分くらい放置して、発酵させる。
前回はこの段階で失敗したんだと思う。
充分に時間をかけて、50分後に見てみると、こんな状態に。


こうしてみると思ったほど膨らんでるようには
見えないのだが、手にとって見るとぜんぜん感触が違う。
それまでのねんどみたいな手触りが、ふかふかした、
空気感のようなものを漂わせるようになる。

その後熱湯で軽くゆでて、トースターで焼く。
オーブンがあれば完璧なのだろうが、うちにはトースターしかないので
しばらく空焼きして温まった状態で、10分くらい焼いてみた。


できあがりはこの通り。
写真だと焼きすぎ、焦げすぎに見えるんだが
実際はこんなに黒くない。

表面がてかてかしてて、ライ麦の香りがただよっていてとてもおいしそう。とりあえず一個を半切りにして、バターとマーマレードを塗って食べてみた。 けっこううまい。やっぱりバターよりはクリームチーズのほうがあいそうだ。 夕方に大国屋で買ってこよう。

パン作りってめんどくさそうな印象だけど、仕組みと要領を理解できればわりと簡単にできるんじゃないかと思う。できれば周りの友人たちに配ったりもしたいので次回は大量生産を目指したい。

パン作りに熱中していた

妻がパンを作った。本人は失敗したと、落ち込んでいたが、KFCのビスケットみたいにバターの風味が豊かでカリカリしていてなかなか美味しかった。いま自宅には、妻が買ってきた強力粉などが大量にある。せっかくだし、再びパンを作ってみようかな、と思い、かつて別の場所にまとめておいたパン作りの記録を見なおしてみた。これがけっこうおもしろいので、こちらに転載しておきたい。


以下、2008年6月8日の日記より

君のたーめにーパンを焼くー♪
と歌ったのはまさよしだが、
おれは自分が食べるために焼く。

実は先月半ばに一回ベーグル作りにチャレンジしていたのだが、
このときはあえなく失敗。その後なかなか時間が取れなくて
リベンジの機会がなかったのだけど、意を決してやってみた。

ちなみに作り方は、ニコ動から。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1055686
このうp主は料理が上手なだけでなく、手がとてもきれいで大人気。

何度も見直して作り方や注意すべき点を確認。
ふせんにメモをとって、さあ作業開始。 


とにかく材料の正確な分量と、時間配分に気をつけた。

はかりで粉類を計測。強力粉にライ麦を足す。

ここにぬるま湯で溶いたイーストを少しずつ加えて
ぐいぐいこね回す。

小麦粉は、こねあがるまでかなり粘つくので
途中経過の写真が撮れなかった。


手につかないくらい落ち着いてきたら
包丁で4等分して丸め、いったん生地を休ませる。

15分くらい放置した生地を、ふたたびこねてベーグル型に整形。


今度は40~50分くらい放置して、発酵させる。
前回はこの段階で失敗したんだと思う。
充分に時間をかけて、50分後に見てみると、こんな状態に。


こうしてみると思ったほど膨らんでるようには
見えないのだが、手にとって見るとぜんぜん感触が違う。
それまでのねんどみたいな手触りが、ふかふかした、
空気感のようなものを漂わせるようになる。

その後熱湯で軽くゆでて、トースターで焼く。
オーブンがあれば完璧なのだろうが、うちにはトースターしかないので
しばらく空焼きして温まった状態で、10分くらい焼いてみた。


できあがりはこの通り。
写真だと焼きすぎ、焦げすぎに見えるんだが
実際はこんなに黒くない。

表面がてかてかしてて、ライ麦の香りがただよっていてとてもおいしそう。とりあえず一個を半切りにして、バターとマーマレードを塗って食べてみた。 けっこううまい。やっぱりバターよりはクリームチーズのほうがあいそうだ。 夕方に大国屋で買ってこよう。

パン作りってめんどくさそうな印象だけど、仕組みと要領を理解できればわりと簡単にできるんじゃないかと思う。できれば周りの友人たちに配ったりもしたいので次回は大量生産を目指したい。