2013年4月5日金曜日

ドイツ語で人助け


私はドイツ語を教えることを仕事にしているけど、ドイツ人と会話することは年に一回くらいしかないので、ドイツ語会話に苦手意識を持ち続けていた。大学院でも周りの連中はみんな自分より年下なのに、はるかにドイツ語ができる人ばかりだったので、自分だけがダメだと思いがちになっていた。

ドレスデンで語学学校に通い始めてすぐに気づいたのは、自分のドイツ語力が思ったよりもあるということだった。もちろんドイツ語で論文を書いたり研究発表をしたりするのはまだまだかなり大変だし、ドイツ人と台頭にやりあうとかいうのは、ぜんぜん無理なんだけど、少なくとも自分の言いたいことを言って、自分の必要を満たす程度の日常会話ならちゃんとできるのだということがわかった。そりゃ15年以上も勉強してきて、今は大学で教えているのだから、当然というか、もっとできないといけないんだけど。

それはともかく、語学学校には15年前の私のように、ほとんどドイツ語が話せない学生もたくさんいる。第一日目のガイダンスや語学力テストの時点でつまづいてしまって、何をしたらいいのかわからなくなってる人もいた。

そういう人たちを見て、放っておけなくて、あれこれ手伝ってるうちに、ドイツ語で人助けをするのは自分の勉強になると気がついた。

自分の言いたいことではなく、人の言っていることをドイツ語に直して、第三者に伝えるというのは、当然のことながら自分の意思を伝えるより難しい。別に通訳者の難しさを問題にするまでもなく、ドイツ語であれば、主語や動詞が異なるし、この人はこう言っている、みたいに間接的な表現も使わなければならない。これは自分一人だったらできない練習なので、非常にいい勉強になった。

ライプツィヒでおつかい
人助けの一環として、ライプツィヒでお使いをしたことも書いておく。3月23日の土曜日、とんでもない寒さのなか、私はライプツィヒの国立図書館に出かけた。パウル・フレックシヒについての資料を閲覧するためだったのだが、ちょっとした手違いのせいで、資料は閲覧できず、もう一度月曜日に出直すことになった。

寒くて市内観光もほとんどできず、失意のうちにドレスデンに戻ろうと電車に乗り込んだところで、見覚えのある女性に声をかけられた。彼女は同じ語学学校に通う学生だけど、これまで挨拶はするものの、ちゃんと言葉を交わしたことは初めてだった。(ここでソフィアという名前であることがわかった。)でもお互い知ってるので、とりあえずどんなところを見てきた?と尋ねあううち、私が月曜にもう一度ライプツィヒに来るというと、彼女は古書店に行って、本を買ってきて欲しいと言い出した。

私の図書館と同じく、古書店の方でも、今日は倉庫から出せないが、月曜には用意できるというのだ。彼女はできればでいい、という。こういうめんどくさそうな頼まれごとって、どうしたらいいのだろう。一瞬考え込んだ。たぶん自分の周りの人間なら、10人中9人くらいは断るのだろう。だけど落ち着いて考えれば、べつにこのお使いに失敗して困ることはたいしてない。古書店は市内の中心だからすぐに行けるし、もし間違った本を買ってしまって、お金を払い戻すことになってもたかだか12ユーロだ。それなら引き受けよう。うまくいって彼女が喜んでくれればいいし。

ということでソフィアのお使いを引き受け、再び月曜日にライプツィヒを訪れた。今度は図書館での調査はトラブルなく終わり、当然お使いもすぐに済ませることができた。ただ、ソフィアの注文した古書というのが、「原人との遭遇」みたいなタイトルで、表紙には北京原人のような絵が描かれていて、ほんとにこれでいいのか?と不安もあったが、火曜日に本人に渡したところ、すごく喜んでくれて、お駄賃として板チョコをくれた。

あとでソフィアと同じクラスの子に聞いたが彼女は古代の美術に興味があるらしく、それで原人の本を買おうとしたのだという。
ラーメン店の軒下で揺れる
「おにぎり」の赤ちょうちん
ライプツィヒで見つけたラーメン専門店
日本好きのドイツ人が経営している様子

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