2013年4月6日土曜日

ドイツ式の食べ方

ドイツ式の食べ方(?)

昨日ひさしぶりにジョギングしたついでに体重を測ってみたら、驚いたことにこの一ヶ月、とくに体重は増えていなかった。厳密に言うと1kgくらいは減ってた。まあそれくらいは誤差の範囲だけど、ぜんぜん増えてなかったというのは意外だった。毎日気持ち悪くなるくらい大量の食事をとっていたし、シャツもいくぶんきつくなっていたように感じていたからだ。ドイツに来て最初の数日で、ここに長くいたら、きっといろんな病気にかかったり、激太りしたりするだろうと確信した。なにせ、レストランに行ってもカフェに行っても食事がむちゃくちゃ多いし、ビールやお酒も昼からたくさん飲める(っていうか飲んでもいい雰囲気だし、安いのでおっさんとしてはすぐ飲んでしまう)。日本では二日と開けずに続けてきたジョギングも、月の半分以上は雪が降ってたので、あまりできなかった。これでは太らないで健康体を保っているほうが難しかろう


だけど太らなかったのは、おそらく規則正しい生活と、ドイツ式の食べ方ができていたせいじゃないかと思う。語学学校で朝食が食べられたので、毎日6時前に起きて、7時半頃には学校に行ってたし、夜は10時半から11時までに寝るようにしていた。ドイツ式の食べ方、というのは昼食を中心にした食べ方のこと。昼食がすごく多いせいで、完食は殆ど食べなかったし、夕飯もいつもほんの少し(パン2切れにハム、そしてにんじんを生でボリボリみたいな)しか食べられなかった。せっかく宿舎に住んでいるのだから、と何度か料理をしてみたが、キッチンが使いにくいし、包丁が信じられないくらい切れなかったので、手のこんだものはほとんど作れなかった。でも結果的にはそのために、昼にたくさん食べて、夜はちょっとだけ、という食べ方ができたので、よかったのだろうと思う。

ちなみにシャツがきつくなったのは、コインランドリーで温水で洗ったり乾燥機にかけたりして縮んだからだ。




朝食にはパンとたくさんのチーズや
ヨーグルトなど
ビールは500ml缶を数本常備
山盛りの焼きそば、そしてフライ


ドイツ式の食べ方

ドイツ式の食べ方(?)

昨日ひさしぶりにジョギングしたついでに体重を測ってみたら、驚いたことにこの一ヶ月、とくに体重は増えていなかった。厳密に言うと1kgくらいは減ってた。まあそれくらいは誤差の範囲だけど、ぜんぜん増えてなかったというのは意外だった。毎日気持ち悪くなるくらい大量の食事をとっていたし、シャツもいくぶんきつくなっていたように感じていたからだ。ドイツに来て最初の数日で、ここに長くいたら、きっといろんな病気にかかったり、激太りしたりするだろうと確信した。なにせ、レストランに行ってもカフェに行っても食事がむちゃくちゃ多いし、ビールやお酒も昼からたくさん飲める(っていうか飲んでもいい雰囲気だし、安いのでおっさんとしてはすぐ飲んでしまう)。日本では二日と開けずに続けてきたジョギングも、月の半分以上は雪が降ってたので、あまりできなかった。これでは太らないで健康体を保っているほうが難しかろう


だけど太らなかったのは、おそらく規則正しい生活と、ドイツ式の食べ方ができていたせいじゃないかと思う。語学学校で朝食が食べられたので、毎日6時前に起きて、7時半頃には学校に行ってたし、夜は10時半から11時までに寝るようにしていた。ドイツ式の食べ方、というのは昼食を中心にした食べ方のこと。昼食がすごく多いせいで、完食は殆ど食べなかったし、夕飯もいつもほんの少し(パン2切れにハム、そしてにんじんを生でボリボリみたいな)しか食べられなかった。せっかく宿舎に住んでいるのだから、と何度か料理をしてみたが、キッチンが使いにくいし、包丁が信じられないくらい切れなかったので、手のこんだものはほとんど作れなかった。でも結果的にはそのために、昼にたくさん食べて、夜はちょっとだけ、という食べ方ができたので、よかったのだろうと思う。

ちなみにシャツがきつくなったのは、コインランドリーで温水で洗ったり乾燥機にかけたりして縮んだからだ。




朝食にはパンとたくさんのチーズや
ヨーグルトなど
ビールは500ml缶を数本常備
山盛りの焼きそば、そしてフライ


2013年4月5日金曜日

ドイツ語で人助け


私はドイツ語を教えることを仕事にしているけど、ドイツ人と会話することは年に一回くらいしかないので、ドイツ語会話に苦手意識を持ち続けていた。大学院でも周りの連中はみんな自分より年下なのに、はるかにドイツ語ができる人ばかりだったので、自分だけがダメだと思いがちになっていた。

ドレスデンで語学学校に通い始めてすぐに気づいたのは、自分のドイツ語力が思ったよりもあるということだった。もちろんドイツ語で論文を書いたり研究発表をしたりするのはまだまだかなり大変だし、ドイツ人と台頭にやりあうとかいうのは、ぜんぜん無理なんだけど、少なくとも自分の言いたいことを言って、自分の必要を満たす程度の日常会話ならちゃんとできるのだということがわかった。そりゃ15年以上も勉強してきて、今は大学で教えているのだから、当然というか、もっとできないといけないんだけど。

それはともかく、語学学校には15年前の私のように、ほとんどドイツ語が話せない学生もたくさんいる。第一日目のガイダンスや語学力テストの時点でつまづいてしまって、何をしたらいいのかわからなくなってる人もいた。

そういう人たちを見て、放っておけなくて、あれこれ手伝ってるうちに、ドイツ語で人助けをするのは自分の勉強になると気がついた。

自分の言いたいことではなく、人の言っていることをドイツ語に直して、第三者に伝えるというのは、当然のことながら自分の意思を伝えるより難しい。別に通訳者の難しさを問題にするまでもなく、ドイツ語であれば、主語や動詞が異なるし、この人はこう言っている、みたいに間接的な表現も使わなければならない。これは自分一人だったらできない練習なので、非常にいい勉強になった。

ライプツィヒでおつかい
人助けの一環として、ライプツィヒでお使いをしたことも書いておく。3月23日の土曜日、とんでもない寒さのなか、私はライプツィヒの国立図書館に出かけた。パウル・フレックシヒについての資料を閲覧するためだったのだが、ちょっとした手違いのせいで、資料は閲覧できず、もう一度月曜日に出直すことになった。

寒くて市内観光もほとんどできず、失意のうちにドレスデンに戻ろうと電車に乗り込んだところで、見覚えのある女性に声をかけられた。彼女は同じ語学学校に通う学生だけど、これまで挨拶はするものの、ちゃんと言葉を交わしたことは初めてだった。(ここでソフィアという名前であることがわかった。)でもお互い知ってるので、とりあえずどんなところを見てきた?と尋ねあううち、私が月曜にもう一度ライプツィヒに来るというと、彼女は古書店に行って、本を買ってきて欲しいと言い出した。

私の図書館と同じく、古書店の方でも、今日は倉庫から出せないが、月曜には用意できるというのだ。彼女はできればでいい、という。こういうめんどくさそうな頼まれごとって、どうしたらいいのだろう。一瞬考え込んだ。たぶん自分の周りの人間なら、10人中9人くらいは断るのだろう。だけど落ち着いて考えれば、べつにこのお使いに失敗して困ることはたいしてない。古書店は市内の中心だからすぐに行けるし、もし間違った本を買ってしまって、お金を払い戻すことになってもたかだか12ユーロだ。それなら引き受けよう。うまくいって彼女が喜んでくれればいいし。

ということでソフィアのお使いを引き受け、再び月曜日にライプツィヒを訪れた。今度は図書館での調査はトラブルなく終わり、当然お使いもすぐに済ませることができた。ただ、ソフィアの注文した古書というのが、「原人との遭遇」みたいなタイトルで、表紙には北京原人のような絵が描かれていて、ほんとにこれでいいのか?と不安もあったが、火曜日に本人に渡したところ、すごく喜んでくれて、お駄賃として板チョコをくれた。

あとでソフィアと同じクラスの子に聞いたが彼女は古代の美術に興味があるらしく、それで原人の本を買おうとしたのだという。
ラーメン店の軒下で揺れる
「おにぎり」の赤ちょうちん
ライプツィヒで見つけたラーメン専門店
日本好きのドイツ人が経営している様子

ドイツ語で人助け


私はドイツ語を教えることを仕事にしているけど、ドイツ人と会話することは年に一回くらいしかないので、ドイツ語会話に苦手意識を持ち続けていた。大学院でも周りの連中はみんな自分より年下なのに、はるかにドイツ語ができる人ばかりだったので、自分だけがダメだと思いがちになっていた。

ドレスデンで語学学校に通い始めてすぐに気づいたのは、自分のドイツ語力が思ったよりもあるということだった。もちろんドイツ語で論文を書いたり研究発表をしたりするのはまだまだかなり大変だし、ドイツ人と台頭にやりあうとかいうのは、ぜんぜん無理なんだけど、少なくとも自分の言いたいことを言って、自分の必要を満たす程度の日常会話ならちゃんとできるのだということがわかった。そりゃ15年以上も勉強してきて、今は大学で教えているのだから、当然というか、もっとできないといけないんだけど。

それはともかく、語学学校には15年前の私のように、ほとんどドイツ語が話せない学生もたくさんいる。第一日目のガイダンスや語学力テストの時点でつまづいてしまって、何をしたらいいのかわからなくなってる人もいた。

そういう人たちを見て、放っておけなくて、あれこれ手伝ってるうちに、ドイツ語で人助けをするのは自分の勉強になると気がついた。

自分の言いたいことではなく、人の言っていることをドイツ語に直して、第三者に伝えるというのは、当然のことながら自分の意思を伝えるより難しい。別に通訳者の難しさを問題にするまでもなく、ドイツ語であれば、主語や動詞が異なるし、この人はこう言っている、みたいに間接的な表現も使わなければならない。これは自分一人だったらできない練習なので、非常にいい勉強になった。

ライプツィヒでおつかい
人助けの一環として、ライプツィヒでお使いをしたことも書いておく。3月23日の土曜日、とんでもない寒さのなか、私はライプツィヒの国立図書館に出かけた。パウル・フレックシヒについての資料を閲覧するためだったのだが、ちょっとした手違いのせいで、資料は閲覧できず、もう一度月曜日に出直すことになった。

寒くて市内観光もほとんどできず、失意のうちにドレスデンに戻ろうと電車に乗り込んだところで、見覚えのある女性に声をかけられた。彼女は同じ語学学校に通う学生だけど、これまで挨拶はするものの、ちゃんと言葉を交わしたことは初めてだった。(ここでソフィアという名前であることがわかった。)でもお互い知ってるので、とりあえずどんなところを見てきた?と尋ねあううち、私が月曜にもう一度ライプツィヒに来るというと、彼女は古書店に行って、本を買ってきて欲しいと言い出した。

私の図書館と同じく、古書店の方でも、今日は倉庫から出せないが、月曜には用意できるというのだ。彼女はできればでいい、という。こういうめんどくさそうな頼まれごとって、どうしたらいいのだろう。一瞬考え込んだ。たぶん自分の周りの人間なら、10人中9人くらいは断るのだろう。だけど落ち着いて考えれば、べつにこのお使いに失敗して困ることはたいしてない。古書店は市内の中心だからすぐに行けるし、もし間違った本を買ってしまって、お金を払い戻すことになってもたかだか12ユーロだ。それなら引き受けよう。うまくいって彼女が喜んでくれればいいし。

ということでソフィアのお使いを引き受け、再び月曜日にライプツィヒを訪れた。今度は図書館での調査はトラブルなく終わり、当然お使いもすぐに済ませることができた。ただ、ソフィアの注文した古書というのが、「原人との遭遇」みたいなタイトルで、表紙には北京原人のような絵が描かれていて、ほんとにこれでいいのか?と不安もあったが、火曜日に本人に渡したところ、すごく喜んでくれて、お駄賃として板チョコをくれた。

あとでソフィアと同じクラスの子に聞いたが彼女は古代の美術に興味があるらしく、それで原人の本を買おうとしたのだという。
ラーメン店の軒下で揺れる
「おにぎり」の赤ちょうちん
ライプツィヒで見つけたラーメン専門店
日本好きのドイツ人が経営している様子

2013年4月4日木曜日

フェリペ・まさおのこと―ゲーテ・インスティトゥート・ベルリンの思い出


今回ドイツに滞在しているのは、ドイツ語教員向け研修プログラムの奨学金にあたったからなんだけど、実際のところ教授法の専門的な研修を受けてるわけでもなんでもなくて、ふつうにドレスデンで、ゲーテインスティテュートの語学講座に参加している。自分の語学力では、教授法コースはまだまだぜんぜん無理だと思ったからだ。語学コースはまあ当然、日本でさんざん勉強してきたことを復習してるだけなのでけっこう簡単なんだけど、単語の意味とか前置詞とか、辞書を引かずにすぐに答えられないことも多いので、即座にドイツ語で考える訓練としてはすごく役に立っている。

ドレスデンのゲーテ・インスティトゥートにいて思うのは、スペイン語(ポルトガル語も含む)人口の多さだ。たぶん次に多いのが、ロシア人とタイ人か。同じクラスにはスペイン人、メキシコ人、ブラジル人がいる。飲み会に行けば、半分くらいがスペイン語を話していたりする。京都で勉強していると、言語の重要度=学問の言語としての価値、という面でしか考えないので、スペイン語ってどうよ?と思ってたんだけど、帰国したら勉強してみたくなった。

ドレスデンには、スペイン語圏の人が多いが、98年に通っていたベルリンのゲーテには、北欧の人が多かった。Mehringdammの下宿は半分くらいがスウェーデン、デンマークからの学生で、どいつもこいつもすごい勢いでビールを飲んでいたのが印象に残っている。おそらく本国ではなかなかお酒が飲めないから、ドイツで羽目をはずしていたのだろう。

ベルリン時代は、Grundstufe2(今でいうA2、大学でいちおう履修したけど話せない、というレベル)だったので、まだドイツ語でまともな会話はできず、クラスの中ではあまり友達が出来なかった。クラスメートの中で印象に残っているのは、ブラジル人のフェリペだ。彼は日系3世で、まさおという日本名も持っていた。フェリペまさおが話せる日本語は、わずかに挨拶程度でしかなかった。でも、見た目はほぼ日本人なので、なんだか不思議な感じがした。フェリペまさおとは、語学講習が終わって以来会っていないが、なぜか急に思い出した。彼はドイツ語を学んで何をするつもりだったのだろう?いまはどこで何をしているのだろう?

追記 
とくに友達ができなかった、なんて書いたけど、何人か話し相手はできた。アルメニア人のティグラムさんは、大学の先生かなにかでもう50代近かったが、非常に勉強熱心で、話すたびに「der, die, das?」などと名詞の性を確認していたのが印象的だった。それから、名前は忘れてしまったけど、スウェーデン人の兄さん。むっくりした熊のような大男だが、とても優しくて、話してみたら私が東京で見た映画をかなり見ていた。彼とはある日待ち合わせて、Oranienburger StrasseのTachelesで映画『コーリャ愛のプラハ』を見に行った。おたがいまだまだ語彙が少なくて、「よかったよねー、ああよかったー」と言い合ったのをよく覚えている。
ティグラムさんと、Koch Str.にあったころの
ゲーテ・インスティトゥート・ベルリンの前で

フェリペ・まさおのこと―ゲーテ・インスティトゥート・ベルリンの思い出


今回ドイツに滞在しているのは、ドイツ語教員向け研修プログラムの奨学金にあたったからなんだけど、実際のところ教授法の専門的な研修を受けてるわけでもなんでもなくて、ふつうにドレスデンで、ゲーテインスティテュートの語学講座に参加している。自分の語学力では、教授法コースはまだまだぜんぜん無理だと思ったからだ。語学コースはまあ当然、日本でさんざん勉強してきたことを復習してるだけなのでけっこう簡単なんだけど、単語の意味とか前置詞とか、辞書を引かずにすぐに答えられないことも多いので、即座にドイツ語で考える訓練としてはすごく役に立っている。

ドレスデンのゲーテ・インスティトゥートにいて思うのは、スペイン語(ポルトガル語も含む)人口の多さだ。たぶん次に多いのが、ロシア人とタイ人か。同じクラスにはスペイン人、メキシコ人、ブラジル人がいる。飲み会に行けば、半分くらいがスペイン語を話していたりする。京都で勉強していると、言語の重要度=学問の言語としての価値、という面でしか考えないので、スペイン語ってどうよ?と思ってたんだけど、帰国したら勉強してみたくなった。

ドレスデンには、スペイン語圏の人が多いが、98年に通っていたベルリンのゲーテには、北欧の人が多かった。Mehringdammの下宿は半分くらいがスウェーデン、デンマークからの学生で、どいつもこいつもすごい勢いでビールを飲んでいたのが印象に残っている。おそらく本国ではなかなかお酒が飲めないから、ドイツで羽目をはずしていたのだろう。

ベルリン時代は、Grundstufe2(今でいうA2、大学でいちおう履修したけど話せない、というレベル)だったので、まだドイツ語でまともな会話はできず、クラスの中ではあまり友達が出来なかった。クラスメートの中で印象に残っているのは、ブラジル人のフェリペだ。彼は日系3世で、まさおという日本名も持っていた。フェリペまさおが話せる日本語は、わずかに挨拶程度でしかなかった。でも、見た目はほぼ日本人なので、なんだか不思議な感じがした。フェリペまさおとは、語学講習が終わって以来会っていないが、なぜか急に思い出した。彼はドイツ語を学んで何をするつもりだったのだろう?いまはどこで何をしているのだろう?

2012年11月20日火曜日

心強い国語辞典

以前からずっと買おうと思っていた国語辞典を安く売っていたので購入した。

今回買ったのは、尚学図書・言語学研究所編、『国語大辞典』新装版、小学館、1991年。
この辞書には、これまでもよくお世話になっていた。院生の研究室、指導教授の研究室、読書会をやってた独文研究室にもあったし、先日支部会の会合で行ったドイツ語中央室にもおいてあった。読書会で訳文を作るときや、論文を書くとき、ほんとうにこういう表現を使って大丈夫か?と日本語の細かい語義や用例を調べる際に、いつも使っていた。

大学の研究室を使わなくなってからは、ネットで検索したり、電子辞書やわりと新し目のの学習国語辞典などを参照したし、それらを使って博論も書いたが、やっぱりあの辞書がないとなあ、といつも気にかかっていた。

国語辞典にかぎらず、辞書というのは新しいほうがいいものと一般的に言われているし、新しい単語や新しい用例が収録されている辞書は便利そうだ。でも、この『国語大辞典』は、その後現在に至るまで改訂されていないし、絶版になっている。おそらく収録語数を変えたりして別の形で刊行されてはいるのだろうが。

学習辞典や広辞苑にくらべるとずいぶん場所を取るし重たいが、いざというときになんでも載ってる辞書があるというのは、とても心強いものだ。