2012年4月12日木曜日

学生たちはいつまでも若い

いつの間にか新学期がスタートしていて、昨日は滋賀県立大学で第一回目の授業があった。
おととし、自転車で琵琶湖一周をした時に湖岸道路から校舎を眺めたことがあったが、電車で行くのは今回が初めて。彦根市内なので、新快速であっという間だな、と思いきや、南彦根は鈍行しか停まらない。 

京都駅から鈍行列車に乗り込むと、何故かやたら混んでいる。

大阪方面行きなら、混むのも仕方ないが、なんでこんなに学生ふうの若者ばかり乗っているのだろうと、つり革につかまりながら考えていた。山科の薬科大と橘、石山の滋賀大、瀬田の滋賀医大と龍大と、各駅ごとの大学を思い出しながら席があくのを待っていたら、やはり瀬田でたくさん降り、さらに南草津でほとんどの若者が降りていった。南草津ってなんだ?と思い検索したら立命館があるのだとわかった。 

草津から先はもうガラガラ。ほとんど人の動きのない車内で、小一時間を過ごした。あいにく雨だったが、景色を眺めるとなんだか栃木の風景のようで、懐かしかった。 

南彦根からは市バスで移動。15分くらいで県立大についた。家からはだいたい2時間弱。近大よりは遠いが堺看護と同じくらいか。 

初回ということで、ドイツ語の専任教員に案内してもらったり、学生の様子を聞いたりした。大学がまだ新しいので校舎はきれいだが、学生数は少ないのでこじんまりしていた。 

私が担当するドイツ語は3時間目、4時間目とも、1年生向けの授業。初回なので、自己紹介、学生へのアンケート、ドイツ語についての説明などをやった。学生へのアンケートは、ドイツ語や他の外国語の既習歴を聞くことが目的だが、出身地や大学でやってみたいことなどの項目を入れることで、学生それぞれの個性が見えて面白い。今回は出身校も書いてもらったが、北野、洛北、膳所など名門校出身の子が多いことに驚いた。県立大の偏差値がどのくらいかは知らないが、学生の知的レベルは高いのかもしれない。実際に話しをしていても、みんなよく聞いてくれるし話すことへの反応もとてもいい。とくに3時間目のクラスは女子ばかり(8割くらい?)で、ドイツ語のクラスじゃないみたいだった。 

近大のときには用意できなかったが、今回はドイツ語とドイツ語圏文化を紹介する 
スライドを見せたので、学生たちもドイツ語に対するイメージがふくらんだかもしれない。 
そのなかで、自分の子供時代の大きな出来事として、ベルリンの壁について話した。 

逆に学生たちにとってはどんなことが子供時代の出来事として記憶されてるのか聞いてみたところ何人かの学生は2001年の同時多発テロを挙げてくれた。また、記憶の中で最初のオリンピックは、2004年のアテネ大会だと言っていた子もいた。今年の新入生は現役なら93年か94年生まれ。彼らにとっては、2001年が最も古い記憶なのだ。思わず遠い目をしてしまった。93年、94年といえば、私はちょうど高校生で、毎日陸の牢獄栃木で、男漬けの高校生活を送っていた時期だ。あの頃からもう18年も経ってしまったのだ。 

私は毎年年をとるが、学生たちはいつまでも若い。毎年18歳のままだ。 
彼らにとっての自我の原点は、だんだん私の現代に近づいてくる。 
数年前、大学で教え始めた時期には、古い記憶といえば神戸の震災だったのに。 

教員という仕事をしていると誰もが感じることだろうが、とくに私のような語学教師は 
1年生ばかり相手にしているので、なおのこと学生との歳の差を思い知る。 


それはともかく、子供時代の社会的な出来事の記憶については、もっといろんな人に聞いてみたいと思っている。学生たちにとって、バブル景気やベルリンの壁が、遠い過去の話で教科書の中のエピソードでしかないように、私自身にとってもオイルショックや学園紛争はあまりに遠い過去の出来事のように思える。あたり前のことだが、あらゆる出来事について、それを経験した年齢の違いや地域の違いが、受け止め方やその後の考え方に大きな違いをもたらすからだ。それは私たち夫婦においても、年齢はひとつしか違わないのに、育った場所がだいぶ離れているせいで、子供の頃の記憶に隔たりがあったりする。 

大学1年生の調べ学習みたいだが、人が世の中の出来事をどう記憶しているのか、というのは最近の私にとっておもしろいテーマとなっている。 

学生たちはいつまでも若い

いつの間にか新学期がスタートしていて、昨日は滋賀県立大学で第一回目の授業があった。
おととし、自転車で琵琶湖一周をした時に湖岸道路から校舎を眺めたことがあったが、電車で行くのは今回が初めて。彦根市内なので、新快速であっという間だな、と思いきや、南彦根は鈍行しか停まらない。 

京都駅から鈍行列車に乗り込むと、何故かやたら混んでいる。

大阪方面行きなら、混むのも仕方ないが、なんでこんなに学生ふうの若者ばかり乗っているのだろうと、つり革につかまりながら考えていた。山科の薬科大と橘、石山の滋賀大、瀬田の滋賀医大と龍大と、各駅ごとの大学を思い出しながら席があくのを待っていたら、やはり瀬田でたくさん降り、さらに南草津でほとんどの若者が降りていった。南草津ってなんだ?と思い検索したら立命館があるのだとわかった。 

草津から先はもうガラガラ。ほとんど人の動きのない車内で、小一時間を過ごした。あいにく雨だったが、景色を眺めるとなんだか栃木の風景のようで、懐かしかった。 

南彦根からは市バスで移動。15分くらいで県立大についた。家からはだいたい2時間弱。近大よりは遠いが堺看護と同じくらいか。 

初回ということで、ドイツ語の専任教員に案内してもらったり、学生の様子を聞いたりした。大学がまだ新しいので校舎はきれいだが、学生数は少ないのでこじんまりしていた。 

私が担当するドイツ語は3時間目、4時間目とも、1年生向けの授業。初回なので、自己紹介、学生へのアンケート、ドイツ語についての説明などをやった。学生へのアンケートは、ドイツ語や他の外国語の既習歴を聞くことが目的だが、出身地や大学でやってみたいことなどの項目を入れることで、学生それぞれの個性が見えて面白い。今回は出身校も書いてもらったが、北野、洛北、膳所など名門校出身の子が多いことに驚いた。県立大の偏差値がどのくらいかは知らないが、学生の知的レベルは高いのかもしれない。実際に話しをしていても、みんなよく聞いてくれるし話すことへの反応もとてもいい。とくに3時間目のクラスは女子ばかり(8割くらい?)で、ドイツ語のクラスじゃないみたいだった。 

近大のときには用意できなかったが、今回はドイツ語とドイツ語圏文化を紹介する 
スライドを見せたので、学生たちもドイツ語に対するイメージがふくらんだかもしれない。 
そのなかで、自分の子供時代の大きな出来事として、ベルリンの壁について話した。 

逆に学生たちにとってはどんなことが子供時代の出来事として記憶されてるのか聞いてみたところ何人かの学生は2001年の同時多発テロを挙げてくれた。また、記憶の中で最初のオリンピックは、2004年のアテネ大会だと言っていた子もいた。今年の新入生は現役なら93年か94年生まれ。彼らにとっては、2001年が最も古い記憶なのだ。思わず遠い目をしてしまった。93年、94年といえば、私はちょうど高校生で、毎日陸の牢獄栃木で、男漬けの高校生活を送っていた時期だ。あの頃からもう18年も経ってしまったのだ。 

私は毎年年をとるが、学生たちはいつまでも若い。毎年18歳のままだ。 
彼らにとっての自我の原点は、だんだん私の現代に近づいてくる。 
数年前、大学で教え始めた時期には、古い記憶といえば神戸の震災だったのに。 

教員という仕事をしていると誰もが感じることだろうが、とくに私のような語学教師は 
1年生ばかり相手にしているので、なおのこと学生との歳の差を思い知る。 


それはともかく、子供時代の社会的な出来事の記憶については、もっといろんな人に聞いてみたいと思っている。学生たちにとって、バブル景気やベルリンの壁が、遠い過去の話で教科書の中のエピソードでしかないように、私自身にとってもオイルショックや学園紛争はあまりに遠い過去の出来事のように思える。あたり前のことだが、あらゆる出来事について、それを経験した年齢の違いや地域の違いが、受け止め方やその後の考え方に大きな違いをもたらすからだ。それは私たち夫婦においても、年齢はひとつしか違わないのに、育った場所がだいぶ離れているせいで、子供の頃の記憶に隔たりがあったりする。 

大学1年生の調べ学習みたいだが、人が世の中の出来事をどう記憶しているのか、というのは最近の私にとっておもしろいテーマとなっている。 

2012年3月23日金曜日

京都マラソンに思うこと

3月11日の日曜日に、第1回京都マラソンが開催された。
スタート地点は我が家からも程近い西京極の競技場。桂川から嵐山を経て、
広沢池、きぬかけの路を通って、金閣寺を迂回して上賀茂へ。そこから下鴨、鴨川沿い、
今出川・東大路を行ったりきたりして、岡崎平安神宮前でゴール、というコース。

3年前まではハーフマラソンが開催されていたが、規模を大きくしてリニューアルした
とのことだった。京都シティハーフのスタートは平安神宮で、当時の自宅からほど近かった
ので、3年前に出場した。当時も参加者が多すぎるな、と思ったし、ハーフとしては
参加費がかなり高額だと思った。たぶん5000円〜6000円くらい?ハーフなら相場は
2000〜4000円台までだ。田舎の小規模な大会であれば、4000円くらいのフルマラソンもある。

これだけ参加料を徴収しておいて、運営は赤字になっていたらしいので、こういう大都市で
道を塞ぐのにどれだけお金がかかるのかということが窺える。
それで、フルマラソン化した今回は、被災地への義援金も含めて参加料は15000円。
バカ高い。そして参加者も1万4,000人弱集めている。東京マラソンは3万人くらいが走った
らしいが、1万人を超えるマラソンというのは、そうとう広い会場でないとできない。
スタート地点の西京極陸上競技場では、スタート開始から数分たっても競技場内にすら
入れない人がいたそうだ。西京極駅は、ホームから人が落ちたり、階段で将棋倒しになったりしかねないほどの混雑だったという。

私は自宅から近い広沢池で、トップ選手から30分くらい応援していたが、帰ろうとしているときに、ランナーが路上に溜まっているのを見た。怪我人でも出たかと思ったが、交通整理の係の人が、緊急車両の通過だとか言ってランナーを止めていたのだ。救急車も消防車もまったく近くには見えなかった。それほど近づいてもいない車のために、ランナーが止められるなどということがマラソン大会でありうるのか?と不審に思った。

翌日ランナーズに投稿された大会の完走レポートで、やはりランナーが止められていたのは、緊急車両の通過のためなどではなく、運営側が、道路が混雑しすぎてしまうので交通整理のために行ったことだったと分かった。広沢池の手前で交通整理ということは、山越一条の交差点からの上り坂、および音戸山から下って福王寺の交差点手前の坂、というすぐ後に続く狭い道の区間があるからだろう。もちろん危険を避けるために、交通整理をするのは必要だ。だが、そもそも参加者には、途中で止められることがあるということについて説明がなかったというし、止めなければならないほど狭い道を使ったり、大人数を走らせたりすることが大きな問題ではないだろうか。

そう、簡単に言ってしまえば、京都のちいさな盆地では、フルマラソンのコースをとることは非常に困難なのだ。もちろん数十人が走る駅伝のコースくらいなら、交通規制の負担も小さいのでぜんぜん問題ない。だが、1万人を超える人が数時間にわたって走り続けるような大会で、すくなくとも京都市の中心部を通るコースを作るのは、相当に無理がある。
ランナーズのレポートでも、コースを見直すべきという意見が多かった。

そこで海外では、どのように大都市型マラソンのコースを作っているのか、いくつかのマラソン大会のコースを見てみた。ドイツでは、毎週のように都市型マラソンが開催されている。BMW主催のフランクフルトマラソンは、前半がゲーテハウスやザクセンハウゼンなど旧市街の名所、後半がフランクフルト方面(市内西部)という感じだが、前半15kmのコースがあまりに複雑。おそらく旧市街周辺に大きな道路(バイパスなど)がありそこを封鎖するわけには行かないから、中心街を何度も往復することにしたのだろう。一方おなじBMW主催のベルリンマラソンは、ブランデンブルク門をスタートし、Mitte北部をぐるっと回って、Kreuzberg, Steglitz, Zehlendorfと市内南西部を通って、ウンター・デン・リンデンからブランデンブルク門にゴール、というコース。一度も同じ所を通らずに、しかもベルリン中心部の半分くらいしか通過していないのに、ちゃんと42km取れている。自分で行った時にも、東京よりはるかに大きな町だとわかってたけど、改めてベルリンの大きさに驚かされる。

もし京都でもっと安全で快適なマラソンコースを作るとしたらどうしたらいいだろうか?市内中心部を使うことは諦めて、上賀茂から市原を越えて岩倉あたりまで行くコースを考えてみたが、これもやはり実現困難だろう。


京都マラソンに思うこと

3月11日の日曜日に、第1回京都マラソンが開催された。
スタート地点は我が家からも程近い西京極の競技場。桂川から嵐山を経て、
広沢池、きぬかけの路を通って、金閣寺を迂回して上賀茂へ。そこから下鴨、鴨川沿い、
今出川・東大路を行ったりきたりして、岡崎平安神宮前でゴール、というコース。

3年前まではハーフマラソンが開催されていたが、規模を大きくしてリニューアルした
とのことだった。京都シティハーフのスタートは平安神宮で、当時の自宅からほど近かった
ので、3年前に出場した。当時も参加者が多すぎるな、と思ったし、ハーフとしては
参加費がかなり高額だと思った。たぶん5000円〜6000円くらい?ハーフなら相場は
2000〜4000円台までだ。田舎の小規模な大会であれば、4000円くらいのフルマラソンもある。

これだけ参加料を徴収しておいて、運営は赤字になっていたらしいので、こういう大都市で
道を塞ぐのにどれだけお金がかかるのかということが窺える。
それで、フルマラソン化した今回は、被災地への義援金も含めて参加料は15000円。
バカ高い。そして参加者も1万4,000人弱集めている。東京マラソンは3万人くらいが走った
らしいが、1万人を超えるマラソンというのは、そうとう広い会場でないとできない。
スタート地点の西京極陸上競技場では、スタート開始から数分たっても競技場内にすら
入れない人がいたそうだ。西京極駅は、ホームから人が落ちたり、階段で将棋倒しになったりしかねないほどの混雑だったという。

私は自宅から近い広沢池で、トップ選手から30分くらい応援していたが、帰ろうとしているときに、ランナーが路上に溜まっているのを見た。怪我人でも出たかと思ったが、交通整理の係の人が、緊急車両の通過だとか言ってランナーを止めていたのだ。救急車も消防車もまったく近くには見えなかった。それほど近づいてもいない車のために、ランナーが止められるなどということがマラソン大会でありうるのか?と不審に思った。

翌日ランナーズに投稿された大会の完走レポートで、やはりランナーが止められていたのは、緊急車両の通過のためなどではなく、運営側が、道路が混雑しすぎてしまうので交通整理のために行ったことだったと分かった。広沢池の手前で交通整理ということは、山越一条の交差点からの上り坂、および音戸山から下って福王寺の交差点手前の坂、というすぐ後に続く狭い道の区間があるからだろう。もちろん危険を避けるために、交通整理をするのは必要だ。だが、そもそも参加者には、途中で止められることがあるということについて説明がなかったというし、止めなければならないほど狭い道を使ったり、大人数を走らせたりすることが大きな問題ではないだろうか。

そう、簡単に言ってしまえば、京都のちいさな盆地では、フルマラソンのコースをとることは非常に困難なのだ。もちろん数十人が走る駅伝のコースくらいなら、交通規制の負担も小さいのでぜんぜん問題ない。だが、1万人を超える人が数時間にわたって走り続けるような大会で、すくなくとも京都市の中心部を通るコースを作るのは、相当に無理がある。
ランナーズのレポートでも、コースを見直すべきという意見が多かった。

そこで海外では、どのように大都市型マラソンのコースを作っているのか、いくつかのマラソン大会のコースを見てみた。ドイツでは、毎週のように都市型マラソンが開催されている。BMW主催のフランクフルトマラソンは、前半がゲーテハウスやザクセンハウゼンなど旧市街の名所、後半がフランクフルト方面(市内西部)という感じだが、前半15kmのコースがあまりに複雑。おそらく旧市街周辺に大きな道路(バイパスなど)がありそこを封鎖するわけには行かないから、中心街を何度も往復することにしたのだろう。一方おなじBMW主催のベルリンマラソンは、ブランデンブルク門をスタートし、Mitte北部をぐるっと回って、Kreuzberg, Steglitz, Zehlendorfと市内南西部を通って、ウンター・デン・リンデンからブランデンブルク門にゴール、というコース。一度も同じ所を通らずに、しかもベルリン中心部の半分くらいしか通過していないのに、ちゃんと42km取れている。自分で行った時にも、東京よりはるかに大きな町だとわかってたけど、改めてベルリンの大きさに驚かされる。

もし京都でもっと安全で快適なマラソンコースを作るとしたらどうしたらいいだろうか?市内中心部を使うことは諦めて、上賀茂から市原を越えて岩倉あたりまで行くコースを考えてみたが、これもやはり実現困難だろう。


2012年3月19日月曜日

人生経験値


35年も生きてくると、達成できたことだけでなく、
当然のことながらまだできていないことがたくさんある。
穂村弘氏が著作のなかで、星取表みたいに列挙していたのがおもしろかったので
ちょっとやってみようと思う。

思いつき次第、少しずつ更新して項目を増やしていく予定。
凡例:◯=経験済み、☓=未経験、△=微妙、◎=大いに

☆人生経験
結婚 ◯
同棲 △(一時的な居候のみ)
離婚 ☓
マイホーム購入 ☓
車購入 ☓
風呂なしアパート ◯
雨漏り ◯
自然災害で被災 △(職場が床上浸水)
浪人 ◯
留年 ◯
停学 ☓
退学 ◯(単位取得退学)
不登校 △(修士課程で不登校気味に)
皆勤賞 △(精勤ならあったかも)
車にはねられる ☓
バイクで転倒 ◯
線路に落ちる ☓
犬に噛まれる ◯
雪山で滑落 ◯
救助隊に助けられる ◯(怪我してないけど、スキーブーツ破損して滑走不能になったので)
海で溺れる ☓
遭難 ☓
難破 ☓
骨折 ☓
入院 ☓
禁煙 ◯
禁酒 ◯


☆資格・仕事系
普通自動車免許 ◯
普通自動二輪 ◯
英検 ◯
調理師 ☓
教員免許 ☓
修士号 ◯
博士号 △(たぶんこれから)
海外学位 ☓
代表取締役 ☓
正社員 ☓
ボーナス ◯
昇給 ◯
卒業式で花束 ◯
雇い止め △(学科が募集停止になった)
飲食業 ◯
コンビニ ◯
マクド ◯
家庭教師 ☓
塾講師 ◯
餅つき屋 ☓(面接行くも断念)

☆身体的
激ヤセ ◯
インフルエンザ ☓
40度の高熱 ☓
鼻血 ◎
水虫 ◯
成長痛 ☓
痔 ☓
ぎっくり腰 ☓
近眼 ◯
視力矯正手術 ◯
差し歯 ◯
血尿 ◯
出産 ☓
献血 ◯

☆旅
ひとり旅 ◎
野宿 ☓
5つ星 ☓
ドミトリー ◯
テント泊 ◯
ヨーロッパ ◯
ハワイ ☓
沖縄 ◯
北海道 ◯
ウユニ塩湖 ☓
ニューヨーク ☓
中国 △
ロシア △
つくば万博 ◯
花博 ☓
とちぎ博 ☓
愛地球博 ☓
富士山 ☓
比叡山 ◯
足尾銅山 ◯

☆輝かしい経験
ホームラン ◯
ハットトリック ☓
一本勝ち ◯
サービスエース ☓(サーブ苦手)
マラソン完走 ◯
バスケットのシュート ☓(入ったことない)
タイブレーク ☓(テニスの公式戦勝ったことない)
逆上がり ◯
はやぶさ飛び ◯(たぶんできた)
一輪車 ◯(これも30年以上やってない)
テストで100点 ◯

☆食べ物等
しもつかれ ◎
フォアグラ ◯
からすみ ◯
ほや ◯
うに ◯
フランス料理、コース ◯
タイ米 ◯
ドリアン ◯
ドラゴンフルーツ ◯
ざざむし ☓
イナゴ ◯
蜂の子 ☓
甘いしょうゆ ☓
伊勢うどん ◯
酒粕焼酎 ◯(藁のような味)


こうやって書きだしてみるといろんな項目があっておもしろい。
今回これを書きだしたのは、じつはバスケットボールでシュートが入ったことが一度もないのを、ふと思いだしたからだった。


人生経験値


35年も生きてくると、達成できたことだけでなく、
当然のことながらまだできていないことがたくさんある。
穂村弘氏が著作のなかで、星取表みたいに列挙していたのがおもしろかったので
ちょっとやってみようと思う。

思いつき次第、少しずつ更新して項目を増やしていく予定。
凡例:◯=経験済み、☓=未経験、△=微妙、◎=大いに

☆人生経験
結婚 ◯
同棲 △(一時的な居候のみ)
離婚 ☓
マイホーム購入 ☓
車購入 ☓
風呂なしアパート ◯
雨漏り ◯
自然災害で被災 △(職場が床上浸水)
浪人 ◯
留年 ◯
停学 ☓
退学 ◯(単位取得退学)
不登校 △(修士課程で不登校気味に)
皆勤賞 △(精勤ならあったかも)
車にはねられる ☓
バイクで転倒 ◯
線路に落ちる ☓
犬に噛まれる ◯
雪山で滑落 ◯
救助隊に助けられる ◯(怪我してないけど、スキーブーツ破損して滑走不能になったので)
海で溺れる ☓
遭難 ☓
難破 ☓
骨折 ☓
入院 ☓
禁煙 ◯
禁酒 ◯


☆資格・仕事系
普通自動車免許 ◯
普通自動二輪 ◯
英検 ◯
調理師 ☓
教員免許 ☓
修士号 ◯
博士号 △(たぶんこれから)
海外学位 ☓
代表取締役 ☓
正社員 ☓
ボーナス ◯
昇給 ◯
卒業式で花束 ◯
雇い止め △(学科が募集停止になった)
飲食業 ◯
コンビニ ◯
マクド ◯
家庭教師 ☓
塾講師 ◯
餅つき屋 ☓(面接行くも断念)

☆身体的
激ヤセ ◯
インフルエンザ ☓
40度の高熱 ☓
鼻血 ◎
水虫 ◯
成長痛 ☓
痔 ☓
ぎっくり腰 ☓
近眼 ◯
視力矯正手術 ◯
差し歯 ◯
血尿 ◯
出産 ☓
献血 ◯

☆旅
ひとり旅 ◎
野宿 ☓
5つ星 ☓
ドミトリー ◯
テント泊 ◯
ヨーロッパ ◯
ハワイ ☓
沖縄 ◯
北海道 ◯
ウユニ塩湖 ☓
ニューヨーク ☓
中国 △
ロシア △
つくば万博 ◯
花博 ☓
とちぎ博 ☓
愛地球博 ☓
富士山 ☓
比叡山 ◯
足尾銅山 ◯

☆輝かしい経験
ホームラン ◯
ハットトリック ☓
一本勝ち ◯
サービスエース ☓(サーブ苦手)
マラソン完走 ◯
バスケットのシュート ☓(入ったことない)
タイブレーク ☓(テニスの公式戦勝ったことない)
逆上がり ◯
はやぶさ飛び ◯(たぶんできた)
一輪車 ◯(これも30年以上やってない)
テストで100点 ◯

☆食べ物等
しもつかれ ◎
フォアグラ ◯
からすみ ◯
ほや ◯
うに ◯
フランス料理、コース ◯
タイ米 ◯
ドリアン ◯
ドラゴンフルーツ ◯
ざざむし ☓
イナゴ ◯
蜂の子 ☓
甘いしょうゆ ☓
伊勢うどん ◯
酒粕焼酎 ◯(藁のような味)


こうやって書きだしてみるといろんな項目があっておもしろい。
今回これを書きだしたのは、じつはバスケットボールでシュートが入ったことが一度もないのを、ふと思いだしたからだった。


2012年3月17日土曜日

1982年、500円玉と新幹線(2)

小学校にあがる前
4歳年下のいとこと
ここからは、2007年秋に書いていた日記から。


日ごろ論文検索に使っているCINIIやMAGAZINEPLUSで検索すると 
500円硬貨について、いくつかの雑誌記事がひっかかった。 
(予想していたことだが、学術論文はまったく見つからなかった。) 
夕方図書館でコピーしたのが、1984年に「朝日ジャーナル」8月31日号に掲載された、 
「日常からの疑問18 シリーズ・こんなものいらない!?500円硬貨」と題された記事である。 

1984年といえばロサンゼルスオリンピックのころ。私が覚えてる一番古いオリンピックだ。 
500円硬貨の登場は82年の4月。ということは登場からすでに一年半も経過したあと 
ということになる。執筆者は朝日ジャーナル記者の宮本貢というひと。 
ちなみにこの雑誌の同じ号には「現代の若者のカリスマ」というグラフ記事で 
村上龍(当時32歳)が取り上げられている。 

この記事での主張を簡単にまとめると、このところ500円玉が出回るようになったが、 
どうにも使いにくくてなるべく早く手放したくてしょうがない、これはけっして作者だけの 
感覚ではなく、わりと世の中に広く共有されているものである、といったところ。 

ではなぜ宮本は、500円玉を忌避するのだろうか。 
主だった理由としては、必要ないということ、重すぎること、札のほうが管理しやすいこと 
などを三和銀行のアンケート結果とともに列挙している。 

この、500円玉が「重い」という印象は現在の私たちにとって違和感を覚えるところではないか。 
たしかに私が初めて父から500円玉をもらったときには、なにか宝物のような、 
優勝のメダルのようなものを手にしたかのような、ずっしりとしたカタマリという印象を 
抱いた。それは私がまだ6歳の幼児だったからかもしれないとも思っていたのだが、 
この記事を見る限りは、大人にとっても500円玉の大きさや重さはなにやら奇妙な 
ものだったのだろう。 

それから500円玉が必要ない、使いにくいという感覚もよくわからない。 
私の場合、500円玉を使う場面といえば、たばこを買うときのことを思い出す。 
いまはやめてしまったけど、喫煙者だったころには、たいていいつも500円玉を 
投入していたはずだ。 
なぜなら、ちょっと前までたばこは200円台後半という中途半端な額だったし、 
1000円札を入れるとおつりが大量に出てきて困ったりもしたからだ。


また、たばこでなくても、ジュースやお茶などを買う際にも、500円玉ならたいていのものが買えるし、10円玉や100円玉を何種類も小銭入れに入れておかなくてもいいので便利だ。 

だが、このような感覚は、500円玉を基準にした物価体系の中に生きているからこそ 
成り立ちうるものだということを忘れてはならない。 
記事から1984年当時の物価水準を想像することは難しいが、調べたところによると 
このころのたばこ一箱の値段は200円前後。(私が見たデータではハイライトの値段が、 
83年から84年にかけて、170円から200円に上がったことになっている。ということは、 
いまのたばこもそうであるように、84年当時でも、200円以下の銘柄だってあったかも 
しれないということだ。) 
コーラやファンタなどは確か消費税導入まではどこでも100円ちょうどだった。 
ということは、たばこにせよ、ジュースにせよ、100円玉を数枚用意しておけば 
ことたりるわけで、なにも重たい500円玉をジャラジャラさせておく必要はないのだ。 

さらに記事の中でも触れられているように、84年の11月に新紙幣(夏目漱石の 
1000円札)が登場することになっていたため、500円玉に対応する自販機の導入が 
遅れていたという事情も関係している。 

それゆえ、記者が述べるように、ちょうどこの時期500円玉は自販機でつかえないし、 
たばこやジュースを買うにはやや額面が大きすぎる、ちょっと使いづらい硬貨として 
認識されていたということなのだろう。 

ずいぶん長くなったのでいったんまとめておこう。 
東北新幹線(1984年開通)とともに私の幼年時代の記憶として刻まれている500円玉の 
印象だが、その重さやスペシャル感というのは、大人社会においては違和感や拒絶感 
として受け入れられていた。そして大人たちが500円玉を手にしたときの、何となく決まり悪い 
思いは、それがモノの価値が大きく変動する時代の入り口にたっていたことを意味している。
それまでの100円玉数枚を中心としていたモノの価値体系は、おそらく82年の500円玉導入、 
および新札の発行、そして89年の消費税のスタートによって決定的に、500円玉を中心とする 
体系へとシフトしていったと考えられよう。 

そしておそらく私たちにとって、現在の物価もいまだ500円硬貨を一つの単位とする 
価値の体系をそのままにとどめているといえるのではないだろうか。