毎週いくつかの大学でドイツ語の初級を教えている。毎週授業のたびに、どうやったら学生たちはドイツ語ができるようになるのだろうと考えさせられる。
学力的に、よくできる子から、あんまり勉強自体が好きじゃない子までさまざまな学生がいる。あまりできない学生たちの様子を見ていると、ああ、自分も学部一年目はこんなもんだったなあ、と懐かしく思えてくることも多い。そういう学生たちが、少しずつドイツ語の発音を覚え、人称変化や格変化に慣れていくのを見ると、なるほど、そういうふうに徐々に身についていくのだなあと感心する。
教えているのは私なのだから、私の教え方さえしっかりしていれば、学生たちがどのくらいのペースで、どのくらいまで学力が伸びるのかは把握できるはずだ。たしかにそうかもしれない。だが、そう都合よく行くわけがない。学生たちはドイツ語を専攻しているわけではない。みんな自分の専門の勉強がある。英語もやるし、就活のための勉強もしているはずだ。だから、いくらこちらがあれこれ考えて計画をねっても、覚えておいて、と言ったことを全部次の週までに覚える学生などまずいない。
個々の学生の学習態度や学習習慣の問題ではなく、そもそも私自身が、どうやったらドイツ語ができるようになるのかよくわからないのだ。19歳で大学に入って、15年くらい勉強して、いちおう大学生に授業が出来る程度にはできるようになったけれど、それは15年かかってやっと、ということだ。毎回授業のたびに、たかだか1年か2年しかドイツ語を学ばない学生たちにどう教えたらいいのだろうと悩んできた。私自身は、どうしても勉強したい子はそのうちできるようになるのだから、そのための種をまいておくくらいで十分だろうと思っている。だけど、自分と同じように学生も10年以上ドイツ語を勉強し続けるわけではない。やはり、限られた時間の中で最大限の成果はあげるべきだ。だが、どうやって?
この問題が難しいのは、簡単にいえば、到達目標が定まっていないからだ。英語と同じように使いこなせるレベルをめざすのであれば、私の授業、私の教え方ではまったく不十分だ。しばしば第二外国語は、学んだところであんまり読み書きや会話ができるほど上達しないから意味が無いと言われる。大学4年間では、途中で留学して集中的に学んだりしない限り、たしかに難しいだろう。だが、だからといって無意味とは言いたくない。一年間ドイツ語の授業に出て、ゆっくりペースで現在完了形あたりまでしか勉強しなかったとしても、そこで学ぶのは、必ずしもドイツ語の単語や文法といった知識だけではない。英語の学習にも役立つような、言語観だったり、あるいは語学以外にも応用可能な、ものごとを体系的に俯瞰する視点だったりするのではないだろうか。
話が少しそれてしまったが、「どうしたらドイツ語ができるようになるか」そして「どのくらいの期間で、どのようなことを学習すべきか」という問題は、「何のためにドイツ語を学ぶか」という問題とも密接に関連しているということがわかってきた。
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