周りの先生がたの書き込みなどで、バカないまどきの学生を批判する言説をよく目にする。親離れできず、教員にも頼りっきりで、友達がいないとなにもできなくて、本も読まない、どうしようもないバカ学生、というのが彼らの批判の代表的な事例だ。言っていることはもっともだと思う。私の担当するクラスでも、どうしようもない子がたくさんいる。でも、こういったバカ学生批判を目にするたび、おれはそんなふうに強く言えないなあと違和感を覚えてしまう。それはかつて自分がおなじようにどうしようもないバカ学生だったからだ。
今の学生は就活まで親に頼るというが、私は博士課程を単位取得退学して助手になる32歳のころまで実家から仕送りをもらっていた。大学4年までで親離れできるなら上出来だ。
今の学生は無責任だというが、私は大学1年のころ無断でバイトをやめている(いわゆるバックれ)。
今の学生は友だちがいないと何もできないというが、私たちが学生の頃にも授業が終わるとポケベルにメッセージを送ろうと公衆電話に走る学生たちがいたはずだ。ポケベルやPHSの時代と違って、SNSを使う今の学生の方が交友関係は幅広い(場合もある)。
今の学生は本も読まないし勉強しないというが、私が学部一年のころは、受験勉強後の燃え尽きで、授業にもでず、本も読まなかった。もともと難しい本を読む習慣がなかったため、大学一年の後期から、一日50ページずつ本を読む練習を始め、おかげで半年くらいで岩波文庫などで名作を読破できるようになった。
学生がバカだというのは簡単だし、事実ダメな子も多い。でもそれを批判したところでどうなるというのだろう。大学を増やしたからダメになった。もともと大学に行けないような層が入ってきたから教育の質が低下したという人も多いけど、田舎の高校から二流私大になんとか入れた私にはとてもそんなことは言えない。大学というのは、日本の場合は出身地や出身階級を抜け出すための手段でもあったはずだ。スポーツしかしてしてこなかった子も不登校だった子も、自分の育った世界から別の広い世界を見るために大学にくるのだ。それを否定することはできない。
学生が勉強しない、無責任で、世間知らずで、役に立たないというのは事実である。だけど4年後、10年後にどうなっているかわからない。どうにかなる可能性はだれもがもっているはずだし、じっさいに大学で教えていれば、学生の短期間での成長ぶりに驚かされることも多いはずである。むしろこういう驚きを経験せずに、バカな学生はいつまでもバカだと思えてしまうのは、教育者として不幸なことではないか。
学部時代の成績証明書。あまり勉強していなかったころの「可」が並んでいる。 |