学部時代に映画館で見た作品Zugvögel einmal nach Inari |
映画を見せる授業というのは、よく話しには聞くけど、これまで自分でやってみようとは一度も思ったことがなかった。教えるべき文法事項はいくらでもあるし―いくら教えてもちゃんと吸収してくれる学生たちなのだし―、学生たちがどんな映画を見たがるのか、彼らにとって身になるような映画が何かも分からなかったからだ。
注文した映画DVD |
ふと思い立って、Amazonで見たい映画のDVDを数本注文した。届いたDVDを見ながら、これはぜひ学生にも見せたいなあと思った。ちょうど自分が学部生で、ドイツ語が少しずつ分かるようになった頃に見た映画を、10数年ぶりに見なおしたら、何を言ってるのか分からなくてもドイツ語の映画を観る意味はあるんじゃないかと考えが変わってきた。
ドイツ映画では、当然のことながら俳優たちはドイツ語を話す。私の教え子の学生たち(農学部)は、ほとんど日本人教員の授業しか履修していない。彼らは生のドイツ人を見たことがあるだろうか。おそらくスポーツが好きな子ならブンデスリーガの試合を見たりはするだろう。しかしプレーヤーたちが話すドイツ語を聞く機会はほとんどないだろう。(ブンデスリーガの選手たちは国籍も様々だから、ドイツ語が公用語じゃないかもしれないし)もしかしたらかれらは私が授業中にかけるCDのネイティブスピーカーの声―登場人物は20前後の若者なのに、不自然に老け声だ―しか聞いたことがないのかもしれない。
そんな彼らにとって、ドイツ映画を観ることは意味があるだろう。少なくとも、ドイツ人がほんとうにドイツ語を話しているということを理解するだけでも。日本にいて日本語だけの世界で暮らしていると、ドイツ語も勉強のための言葉として学習するし、ドイツ人がドイツ語をいまも話して暮らしているという事実を忘れてしまいそうになる。難解なドイツ語を作ったドイツ人だって、我々と同じ人間だし、実際にドイツ語を使って生活をしているのだ、というまったく当たり前のことを確認するだけでも、映画を観る価値はある。私自身、大学1年生の冬に初めてドイツを訪れた時、だれもが本当にドイツ語を話しているということに大変なショックを受けたものだった。町や駅で響くドイツ語の音声的なイメージを受容したことは、その後の学習に弾みをつけるような体験になった。
彼らが何のためにドイツ語を学ぶのかは、それぞれ違っているだろうが、少なくとも単に勉強のための外国語としてだけでなく、実際に使われている言語として学ぶことももちろん必要だろう。映画を授業に取り入れて、それで文法事項や会話表現を理解させることもできればいいのだろうが、ドイツ語の説明などなしで、映画を観るだけでも、学生たちにとっては意味があるのではないだろうか。